しかし改正以降も徴兵逃れの手段はなかったわけではなく、1895年に「海外に住んでいる人は徴兵が猶予される」というルールが出来ると、海外移住は徴兵逃れの方法として広く認識されるようになりました。
海外に移住した場合は毎年在外公館に徴兵延期願を出し続ければ合法的に徴兵から逃れることができ、それゆえ中にはアメリカに移住後19年間徴兵猶予願を出し続けていた人もいます。
中には徴兵猶予願すら出さずにそのまま行方をくらます人さえいたとのことですが、当時の在外公館には徴兵逃れの人を探す人員はいなかったこともあり、ほとんどの人はそのまま徴兵から逃げることができました。
当時徴兵制が敷かれていたのは日本本土だけであったこともあり、海外とはいかなくても1895年に植民地になった台湾、1910年に植民地になった朝鮮、1919年委任統治領になった南洋諸島(パラオやサイパンなど)などに移住して徴兵から逃れる動きもあったのです。
それでも第二次世界大戦が激化すると植民地でも徴兵が行われるようになり、1944年には朝鮮、1945年には台湾で徴兵制が実施されました。
また第二次世界大戦末期を除いて学校に通っている間は徴兵が猶予されていたこともあり、徴兵を引き延ばすためだけに進学する人も多くいました。
中には徴兵から逃れるためだけに在籍だけして全く通学していない人さえおり、1934年の陸軍省の調査によると私立大学に400人ほどの不通学在籍者がいたとのことです。
さらに珍しい例ですが、「徴兵されるよりは刑務所に入った方がマシ」と考え、犯罪を繰り返して刑務所に何度も入ることによって徴兵から逃げたものもいました。
非合法な徴兵逃れ「失踪、詐病」、中には命を絶つものも
以上のように合法的に徴兵を逃れるものも多かったのですが、中には非合法的な手段で徴兵から逃れるものも多くいました。