「自分の不遇を親のせいにするのは甘えだ」、という批判は当然あろう。しかし「親ガチャ」なる言葉が流行した背景に、日本社会の閉塞感があることは確実だ。「親ガチャ」という表現の当否はさておき、社会全体を覆う「あきらめ」の雰囲気、無力感は軽視できない。

人生が親で決まらない社会をつくることが明治日本の目標であり、それはある程度達成されたと言える。過度な競争主義によって格差が拡大したという負の側面はあるが、江戸時代と比べて風通しの良い開かれた社会になったことは間違いない。

逆に言えば、「親ガチャ」という言葉が蔓延する現代日本は、まるで江戸時代に戻ったかのようである。日本人が明治以降に目指してきた“良い国”の理想像は既に崩壊し、若者の個々の努力によって報われる社会ではなくなってきているのだ。

「親ガチャ」という表現は冗談めかしているが、その背後にある若者の絶望は根深い。軽視してはならない問題であろう。これから行われる衆議院選挙では、若者が希望を持てる社会の実現に向けて、各党が議論を戦わせることを願っている。