■有力な容疑者があらわれるも証拠は集まらず

数日後の10月17日、家から約25キロの人里離れた高速道路沿いで、サロモンのパスポート、財布、写真がまき散らされているのが見つかった。ついに警察も事件性を認め、サロモン一家は誘拐され殺害された可能性があると考えるに至った。

この頃、一家失踪のニュースは大きく新聞で報じられ、あらゆる種類の憶測が囁かれていた。

かつてソルがイスラエルのマフィアに関与していた、イスラエル軍で元特殊訓練部隊に所属していた過去と関係している、または彼がイスラエル諜報機関(モサド)のスパイ、または麻薬の売人であった等の噂である。人々はこれらの説に夢中になったが、警察は一人の男に目をつけていた。

それはソルが最後に会った、自動車販売店経営の英国人ハーベイ・レーダーだった。ソルはレーダーの事業に投資していたが、警察の調べではレーダーは荒っぽい前科を持っていた。レーダーはイギリスで12件を超える犯罪で有罪判決を受け、数回刑務所に入った経歴を持っていたのだ。彼はまた、武装強盗やサウジアラビアの実業家の邸宅への放火保険金詐欺計画にも関与していた。

このようなきな臭い経歴を持つ人物ではあるが、レーダーがサロモン一家を消した証拠はなかった。警察が尋問するためにレーダーの家を訪ねた時、レーダーの車庫には、ソルのベンツがあり、状況はかなり疑わしいものとなった。

警察から質問されたレーダーは、ソルに会った夜、ソルのバンで車のオークションに行き、その後、ソルから頼まれたイスラエル料理店で彼を降ろした、と語った。その後、レーダーはソルの家までバンで向かい、妻エレインからベンツの鍵を受け取り、修理のために自分の店に持っていった、という。レーダーは、自分はソルの失踪とは何の関係もないと断固として否定するとともに、ソルの正体はイスラエル製の短機関銃、リボルバー、自動拳銃を売る密売屋であると警察に話した。

しかし、レーダーの説明には、いくつか不自然な点があった。

1つには、ソルを車から降ろしたというレストランはその夜閉まっていたこと、そして、彼らはサロモンの家を夕方6時に出たが、車のオークションは実際には5時で終わっていた事実である。さらにレーダーの話には一貫性がないこと。最初はエレインから鍵を渡されたと言っていたが、後に郵便受けから鍵を取り出したとレーダーの証言は変化した。しかし、レーダーを拘束する証拠はなく、彼は逮捕されず、それ以上の尋問は行われなかった。

やがて捜査は手詰まりとなり、新たな手がかりも容疑者も見つからなかったが、1983年10月、レーダーが再び捜査線上に現れた。警察はレーダーのいとこ、アシュリー・ポールという男から連絡を受け、非常に興味深い話を告げられたのだった。

ポールによれば、彼はレーダーと何人かのイタリア人共犯者が1982年10月12日にソルと彼の家族を銃殺したのを目撃し、彼らが砂漠に一家の遺体を埋めるのを手伝ったと述べたのだ。

ソルとレーダーはソルが行った投資について激しく言い争い、そのあげくに殺され、家族は単に沈黙させるために殺されたと話した。ポールはまた、レーダーが1982年3月17日に行方不明になった英国人夫婦ピーターとジョーン・デイビスの失踪にも関係していると述べた。しかし、ポールは遺体が埋められたはずの場所に警察を連れて行ったが、何も発見されなかった。

ある捜査関係者はこう語った。

「レーダーのいとこポールは嘘をついていたか、警察に遺体を見つけて欲しくないと考え、違う場所をわざと指示したのかもしれない。遺体さえ見つからなければ、警察は彼らを起訴できないからだ」

【未解決事件】忽然と姿を消したサロモン一家の謎! 怪しい男、生存証言、モサド… 疑惑・陰謀が渦巻く
(画像=イメージ画像 Created with DALL·E,『TOCANA』より 引用)