オーストリア国民議会選挙(下院、定数183議席)で初めて第1党になった極右政党「自由党」は大喜びだったが、時間の経過と共にその喜びにも影が差してきた。民主主義国では、選挙で第1党となった場合、政権を担当するケースが多い。「極右政党」という看板を背負っている自由党の場合、第1党即「政権」担当というわけにはいかない。オーストリアだけではない。隣国ドイツでも極右「ドイツのための選択肢」(AfD)がテューリンゲン州議会選挙で第1党となったが、政権組閣という声はどこからもかからない。他の政党が極右政党との連立を拒否しているからだ。

民主主義、法の支配、オーストリアに対して党の公約を語るキックル党首(2024年10月7日、自由党公式サイトから)

キックル党首の「自由党」の場合、ザルツブルク州、オーバーエスターライヒ州、そしてニーダーエスターライヒ州の3州議会では国民党のジュニア・パートナーとして政権入りしていること、連邦レベルでも2000年、選挙で第2党だったが、第3党の国民党に首相ポストを与えて第2・3党から成るシュッセル政権を発足させてきた経験があるから、2013年2月に創設された新党AfDとは少々異なる。

選挙後、大統領府で選挙で議席を獲得した政党代表がファン・デア・ベレン大統領と個別会談したばかりだ。キックル党首は今月3日、第1党として最初に招かれて大統領と今後の政権について話し合った。そして7日午前、第2党の国民党の党首、ネハンマー首相が、同日午後は第3党の社会民主党のバブラー党首がそれぞれ招かれ、8日には第4党のリベラル政党「ネオス」のベアテ・マインル=ライジンガ―党首、最後に「緑の党」党首のコーグラー副首相がそれぞれ個別で大統領と会見し、今後の政権工作で意見を交換した。

大統領との会見後、キックル党首は「会談はいい雰囲気で行われた」と話し、大統領府を後にした。自由党が嫌いな「緑の党」出身のファン・デア・ベレン大統領から政権担当の要請はなかったが、門前払いといった事もなく、選挙で第1党となった政党への配慮があったことを匂わせていた。