近年だけ見れば安倍氏と岸田氏は外交に強みを持ち、世界における日本のプレゼンスをあげてきました。一方、菅氏が首相の時は正直、外交のイメージはほとんどなく、海外でその足跡を残すこともありませんでした。

菅氏と安倍、岸田両氏では胸襟の開き方が違うのだろうと思います。菅氏は緻密な機械式時計のような積み上げ型で交渉のフレキシビリティが少なく、外国人は苦手意識を持ちそうです。会談において成果をどれだけ上げるかは双方の論理的主張と共にいかに人間同士のつながりを作り上げられるか、そして落としどころを探る、これにかかっています。

岸田前首相と石破首相 自民党HPより

外交において通訳を介せば2国間の首脳交渉は時間がかかるやり取りですが、成立します。ところが例えばサミット会議のように円卓を囲んだ場合、会話は一定のペースで展開します。そのやり取りは相手が話し終わる前に次の人が既に声を出すタイミングにあるケースが大半であり、仮に同時通訳を介していてもその流れに乗ることは難しいと思われます。

たとえば私がカ ナダに来たばかりの頃、業務のやり取りにおいて相手が一人の場合は通じました。理由は相手も一生懸命聞こうとするからです。ところが例えばパーティーなどで数人と話をするときは話のテンポがあり、それについていけない限り完全に蚊帳の外になります。また、雑談タイムの時は割とローカルな話題も出てくるのですが、その内容を知らないと何の話だか全く分からないという悲惨な状況に陥ります。

では石破氏は外交ができるか、と聞かれたらこう返します。YES、2国間の間で通訳が入れば立派な外交交渉ができます、と。ただし、石破氏は安倍、岸田氏のようなタイプではありません。それと言葉の中に「理想と現実」「本音と建て前」を使い分け始めている今、外国人からすると「本心はどこにあるのか?」という疑義を挟まれる公算は高いと思います。

外国人は口先の言葉以上にその発言の真意を確認したいと思っています。そのため、相手を説得するために「会話の密度」を非常に高めたりします。わかりやすく言えば1分のトークで通常なら1つのことしかしゃべらないところを3つのことを言い切り、相手に「なるほど」と思わるほど押し込みます。自分の主張を「言葉の嵐」で表現していくことは日常的であると言えます。