ガザでは若い母親が一人の幼児を抱えながら、「夫も息子も亡くなり、家もなくなった。全てがなくなった」と涙しながら、配給される食事を得るために重い足を引きずりながら列に加わる。パレスチナス保健局の発表では、ガザ戦闘で4万1000人以上が犠牲になったという。ハマスのメンバーもいるが、多くは民間人、女性や子供たちという。

ハマスの奇襲テロで息子を拉致された母親も、ガザ戦闘で夫と息子を失った若い母親も同じように泣いていた。途方に暮れ、絶望に落ち崩れた姿にはパレスチナ人とかユダヤ人といった違いはない。ただ、愛する者を失ったために泣いているのだ。

ネタニヤフ首相はハマスを壊滅するまで戦いを続けるというが、イスラエル軍に殺害された多くのパレスチナ人家族の中から新たなハマスが生まれ、近い将来、イスラエルに戦いを挑むだろう。各民族には固有の歴史があるように、ジャスティスも民族、国によって異なってくる。だから、ジャスティスの旗を掲げて、他のジャスティスの旗をもつ民族、国家と衝突する結果となる。

一方、ピースはジャスティスとは違い、武器を捨て、戦場での戦いを止めれば実現できる。その場合、どちらが勝利したとか、敗北したということは、民族・国家の指導者にとって重要だが、大多数の国民は平和が戻ってきたことを歓迎するだろう。もう戦う必要がなくなったからだ。戦場で息子や夫を失う心配もない。勝った、負けたという戦の話は彼らにとって一義的ではないのだ。

ジャスティスや大義を掲げる政治家や指導者にとって、戦いは勝利しなければならないと確信している。しかし、ジャスティスを主張し続ける限り、多くの場合、ジャスティスの本来の目標である平和が遠ざかっていくのだ。

多くの義人、聖人はジャスティスのために命を落としてきた。キリスト教の歴史は殉教の歴史でもあった。戦争でも多くの英雄が生まれたことは事実だが、戦争を回避できるのならば、当方はジャスティスを一時的に放棄したとしてもピースを取るべきだと考えるようになってきた(もちろん、ジャスティスが平和をもたらすケースもあり得る)。