一番わかりやすいのは農作物の収穫でAさんは1時間で30キロの収穫をしました。Bさんは10キロしかできませんでした、という場合でもたぶん労賃はほとんど変わらないはずです。私は不公平だと思うのです。一生懸命やった方が損なのです。ならば労働基準を集荷10キロ当たりいくらにしたらどうでしょうか?最近はこの発想が少なくなってきたように思えます。(昔は内職という出来高払いの仕事があり、母親が夜なべをしたというようなお涙頂戴の話もあったものです。)
日本は労働をあまりにも画一的な断面でとらえ、それをすべての人に当てはめようとする風潮が強すぎると思います。そういうと必ず反論されるのが「なら、過労死したら責任とれるのか?」です。初めにも言ったように労働は自己の意志でやるものであり、自分のジョブディスクリプションがあり、やらされ感をなくすことが大事なのです。自分の意志でやること、それに見合う報酬を出すことです。
日本は労働の対価が安すぎます。未だに月の手取りが20万円レベルという話がごろごろありますが、個人的にはこの水準は2倍に引き上げるべきだと思います。逆に本当にフルタイムで仕事をして月に手取り10数万円しかもらっていないとすれば労働者側にも「売るスキルがない」という点を認識すべきでしょう。
労働者の能力を上げる、報酬も上げる、規制で縛りすぎない、働き方は画一的ではない、これが本当の働き方改革だと思います。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2024年10月6日の記事より転載させていただきました。