「1990年代にプーチン氏を『欧州で最も危険な人物』と喝破し、欧州に警告を発していた人物がいた。約640年間、中欧を支配してきたハプスブルク家のオーストリア=ハンガリー帝国“最後の皇帝”カール1世の息子オットー・フォン・ハプスブルク氏だ。数十年前、彼は新しいロシアの『植民地戦争』を予測し、1995年には『攻撃的な民族ボルシェヴィズム』と指摘、1998年の欧州議会での演説では『危険はまだ私たちの前にある』と警告し、プーチン氏をアドルフ・ヒトラーと比較している」と書いた。

オットー・ハプスブルクは、「多くの人々がプーチンの存在すら知らない時からプーチンを研究してきた」という。プーチンの名前を最初に聞いたのは旧東独の最後の選挙運動の時(1990年)という。そのエピソードを同氏は2005年11月5日の南ドイツ新聞とのインタビューの中で語っている。

それによると、ハプスブルクは旧東独が解放された直後、旧東独の収容所に拘留されていた何人かの政治囚人と語った。その中の1人は「収容所にはいいロシア人もいたが、悪い若いロシア人がいた。彼の名前はウラジーミル・プーチンだ」という。それ以来、「私はプーチンと呼ばれる人物に興味を持ってきた」という。ハプスブルクによると、プーチン氏は学生時代から友達が反政府的発言をしたら即KGBに密告していた人物だ。プーチン氏は学生時代を終えると直ぐにKGBの門を叩いている。

ハプスブルクは生前、「スターリンの下での共産主義は戻ってこないだろう。しかし、ナチズムはもちろんヒトラーの形ではなく、プーチンと共にやってくる。プーチンは外向きに拡大し、内向きには鋭い権威主義体制を構築するという非常に明確な政策を追求している。欧州ではもはや戦争はないと多くの人が信じているが、そうではない。最大の国際的危険はロシアから来る。プーチンは冷血なテクノクラートだ」と指摘していた。

また、「ヒトラーがそうであったように、プーチンは自身の意図について非常に率直に話している。ソビエト連邦の崩壊にもかかわらず、ロシアは脱植民地化時代における最後の巨大な植民地帝国だ。プーチンは一方では千島列島、もう一方ではバルト3国を取り戻すことを夢見ている」と述べ、プーチン支配のロシアを「最大の帝国主義国」と呼んでいた。