読売新聞オンラインを観ていると、中欧を席巻したハプスブルク家のオーストリア=ハンガリー帝国の最後の皇太子、オットー・ハプスブルク(1912~2011年)の人柄、功績を紹介した展覧会が東京都港区立郷土歴史館で開催中だという。嬉しいニュースだ。当方は1990年5月、オットー・ハプスブルクと単独会見した(世界日報1990年5月19日掲載、以下、オットーさんと呼ぶ)。オットーさんは訪問先のウィーン市内で記者のインタビューに快く応じてくれた。当方は「この紳士がハプスブルク王朝の最後の皇太子か」と考え、ちょっと緊張しながら会見したことを思い出す。展覧会は駐日本ハンガリー大使館などが主催して今月16日まで開催中というから、関心がある読者はぜひとも展覧会に足を運んでオットーさんの功績を振り返っていただきたい。

約640年間、中欧を支配してきたハプスブルク家の“最後の皇帝”カール1世の息子オットー・フォン・ハプスブルク氏(インタビューに応じるオットー・ハプスブルク氏、1990年5月、ウィーンで撮影)

オットーさんは1912年11月20日、オーストリア・ニーダーエスタライヒ州のライへナウで、オーストリア・ハンガリー帝国の皇帝カール1世と皇后ツィタの長子として生まれた。オーストリア・ハンガリー帝国の崩壊後、1919年にスイスに亡命し、スペインとベルギーで成長。ドイツでナチス政権が発足すると、反ナチス運動を展開し、ナチスドイツのオーストリア併合(38年3月)に反対。世界大戦中は米国に住み、戦後、欧州に戻ってきた。そして1979年から99年まで独キリスト教社会同盟(CSU)の欧州議会議員として外交委員会で活躍する一方、「汎欧州同盟」の名誉会長を務め、2011年に亡くなった(「ハプスブルク家の“最後の別れ”」2011年7月18日参考)。

ところで、「なぜ今、オットーか」を少し説明したい。当方は「ハプスブルク家最後の皇太子の『警告』」(2022年4月8日)のコラムの中でオットーさんの功績をまとめた。以下のその概要を再掲載する。