いくつか補足すれば、「3」は52年4月28日のサ条約発効の二日後に成立した「戦傷病者戦没者遺族等救護法」で戦傷病死者と戦没者遺族に遺族年金を保障し、また翌年8月の同法の一部改正で戦犯の遺族にも遺族年金と弔慰金を支給したことを指す。両法とも全会一致であった。これを契機に「戦犯処刑」という語も消え、公文書に「刑務死」と記されるようになった。

関連して、内大臣だった木戸幸一は、45年12月に陛下から夕食に誘われた際、戦犯容疑者指名を理由に固辞したところ、陛下は「米国より見れば犯罪人ならんも、我が国にとりては功労者なり」と述べられたと「日記」に記している(上坂本)。