結局「靖国神社法案」は廃案となったものの、その事実上の国有化に、野党各党や多くの宗教団体が反対する事態を招いた。そうした経緯のある靖国参拝を陛下がご遠慮なさるお気持ちは推察できる。

では、なぜそれが公にされないかといえば、公表すること自体が「政治的」と見做されかねないからだ。従って、石破総理がやるべきことは、先ず自らが靖国参拝することで75年の政府答弁に改めて光を当て、その上で陛下に「内閣として御参拝されるよう助言する」ことではあるまいか。

首相の参拝とA級戦犯の合祀

この件についてはノンフィクション作家の上坂冬子に『戦争を知らない人のための 靖国問題』(文春新書、06年刊)という、この問題を知るに格好の書があるので、そのエッセンスを以下に紹介する。

因みに天皇のご参拝について上坂は、「天皇のご親拝を実現せねば靖国神社の存在価値がないようにいう人があるが、私はこだわらない」とし、「天皇の地位が『神』から『象徴』になった段階で、天皇と国民との関係も転換しているはず」と述べている。

上坂が靖国問題をどう考えたかの経路あるいは筋道を知るため、以下に同書の目次を掲げてみる(※()内の筆者の補足)。

第一部 靖国神社は日本人にとってどんな存在だったか 第二部 敗戦で立場を失う 第三部 日本は加害者か 第四部 東京裁判とA級戦犯 第五部 無知がまかり通っている 第六部 裁いた側の異色(日本を無罪としたインドのパル判事のこと) 第七部 裁かれた側の異色(東条英機のこと) 第八部 戦犯問題、ここがポイント 第九部 日本から戦犯が消えた日(「刑務死」とされたこと) 第十部 近隣諸国の感情か、内政干渉か 第十一部 靖国神社は今のままで存続可能か 第十二部 靖国問題解決のために 第十三部 論拠のはっきりした政府声明を

上坂は第十三部で、「私の立場から、私なりに靖国問題を近隣諸国との秩序ある論争の場にのせるために、中華人民共和国および大韓民国政府に宛てて日本政府から発信すべき文書の叩き台」として「声明書(案)」を掲げているので、以下の要約に沿って「首相の参拝」と「A級戦犯の合祀」について見てゆきたい。

犯罪人といえども裁判を受けて刑に服せば事件は決着する。A級戦犯はその様な扱いのもと靖国に祀られている。 靖国神社は義和団事件(1900年)の30年前に、日本のために命を落とした人々の慰霊の場として建てられた。51年のサンフランシスコ平和条約で独立した翌月、吉田茂首相は衆参両院議長と閣僚と共に靖国に参拝し、日本の独立を報告した。日本と日本人にとり、靖国神社とはそういう場所である。 日本はサ条約発効の翌年、戦死者、戦傷病死者、戦犯刑死者の全てを、一切区別せずに国家のために命を捧げた人と、国会で決議した。よってA級戦犯の分祀はこの決議から外れる。 サ条約では様々な戦犯の取扱いが取り決められ、日本はそれを遵守してきた。A級戦犯に纏わる問題も、敗戦8年後に取決に基づき処理し、決着済み。サ条約は49ヵ国が署名・批准したが中国も韓国も署名・批准していない。そうした国にはいかなる権利、権限、利益を与えないし、そうした国々によって日本の権益が「減損または害される」ことはないと記されている(第二十五条)。また署名批准国から戦犯問題について異議を申し立てられたことはない。 パル判事は、かつては各国に交戦権があり、他国に対する武力行使を犯罪とする国際法は存在しなかったと述べており、アヘン戦争などはその好例。従い、A級戦犯が問われた「平和に対する罪」などは犯罪に該当しない。