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ワイド&ローで全長もホイールベースも縮めたスポーツ路線は本物
市場消滅とアメリカンデザインによる販売不振
ワイド&ローで全長もホイールベースも縮めたスポーツ路線は本物
3ナンバー化で「大きくなった」というイメージの強い4代目プレリュードですが、実は全長が20〜80mm、ホイールベースも15mm短縮しており、単にブクブクと太らせたわけではありません。
DOHC VTEC(H22A)かDOHC(F22B)の2.2リッター直列4気筒16バルブエンジンを積むため5ナンバーサイズにこだわる必要はなくなり、全幅は1,760mmへ、前後トレッドも拡大してルーフを下げたワイド&ローなスタイルのスポーツカー要素は本物です。
DOHC VTECのH22Aは200馬力と「リッター100馬力(220馬力)」に及ばないのでスペック面でのアピール度は低いものの、可変バルブタイミング&リフトに可変インテークマニホールドを組み合わせた、当時としては贅沢な作りのエンジン。
3代目で世界初採用となった機械式4WS(4輪操舵)は、これも世界初の電子制御式「ハイパー4WS」へ進化しており、低速域から高速域まで、操舵速度や走行状況に応じて変化する後輪操舵や、4輪ダブルウィッシュボーン独立懸架による走りも本物志向です。
3ナンバー化でむやみにキャビンを広くせず、1つのフロントシートに対して+1名分のリアスペースを確保した、2+2シーターならぬ、「”1+1”×2デザイン」と称するレイアウトは前席重視。
ロングノーズ・ショートデッキの古典的スポーツカールック風デザインからも、「スポーツカーとして売り出そう」という意気込みは感じられました。
市場消滅とアメリカンデザインによる販売不振
しかし4代目プレリュードがデビューした1991年、デートカーとしても未練が残るFFスポーツクーペ需要はバブル崩壊で消失しており、さらに後年のイーグル ビジョン(1993年)が似たようなフロントマスクだったように、どちらかといえばアメリカ市場好みのデザイン。
その当時の日本で求められていたのは、不景気に対応する経済的なコンパクトカーか、価値観の多様化に対応したRVブームのミニバンやSUVなどですが、1994年に初代オデッセイをヒットさせる以前のホンダは、「そんなカッコ悪いクルマは作りたくない」メーカーです。
それゆえにプレリュードのモデルチェンジで「どうだ、カッコイイだろう!」と巻き返したかったのかもしれませんが、コンセプトもデザインも当時の日本には全く合わず、後のインテグラ タイプRなど「本物感」が少々薄かったので、国内販売は不振で終わります。
「ホンダらしい、ちょっと豪勢なクーペ」を求めるユーザーになら刺さるクルマではありましたから、1996年には過去の栄光を再来しようと6代目へのモデルチェンジでもう一押ししてみるのですが、その頃にはホンダ自体もRV主体のメーカーになっていました。