1945年3月25日の出現以降、1959年までにさらに55回の出現が報告された。14年間にわたり、聖母マリアはピーダーマンにいくつかの未来の出来事を予言した。その中には1958年のピウス12世の死も含まれていた。彼女のビジョンに基づいて描かれたとされる絵画は、1973年にアムステルダム南部の住宅地に建てられた小さな礼拝堂に現在も保管されている。
アムステルダムでの聖母マリの再臨では最初から現地の司教たちの間で評価が分かれた。1956年、当時のハールレム=アムステルダムのヨハネス・ペトルス・フイバース司教は、「超自然的とは認められない(non constat de supernaturalitate)」との判断を下した。この判断は1974年5月に教理聖省によって再確認され、パウロ6世は最終決定を承認した。しかし、フイバース司教の後任であるヘニー・ボメルス司教は、1996年に聖座との協議のもと、「万民の母」というタイトルでのマリア崇敬を許可したが、出現自体を認めたわけではなかった。しかし、その後任のヨス・プント司教は、2002年に聖座に相談することなく、聖母マリアの出現の真実性を認めた、といった具合だ。
なぜアムステルダムでの聖母マリアの再臨問題で教理省を含む聖職者の間でその真偽、評価が分かれたのだろうか。教理聖省は2005年、ピーダーマンにマリアが伝えたとされる祈りの中のいくつかの言葉がカトリック教義と一致しないとして削除している。そして2020年12月、新しいハールレム区のヨハネス・ヘンドリクス司教は、教理聖省との協議のもと、「『万民の母』というマリアへの称号自体は神学的に許される」と発表したが、その称号を用いることが出現の超自然性を暗黙のうちに認めることにはならないと釘を刺している。
評価が何度も変わる主因の一つは、ピーダーマンに伝えられたとされる聖母マリアのメッセージには、1952年12月に「マリアを『共贖者』として教会が認めるように」との要求が含まれていたからだ。教理聖省長官で後に教皇ベネディクト16世となるヨーゼフ・ラッツィンガー枢機卿は当時、2000年に出版された対談の中で、「共贖者という表現は聖書や教父たちの言葉からあまりにもかけ離れており、誤解を招く可能性がある」と指摘している。フランシスコ教皇も2020年4月3日のミサで、「聖母はイエスからタイトルを奪おうとはしなかった。彼女は準救い主や共救い主になりたいとは思わなかった」と述べ、「救い主はただ一人だ」と強調している。