このコラム欄でも紹介したが、ローマ・カトリック教会の総本山バチカン教皇庁は先月19日、記者会見を開き、ボスニア・ヘルツェゴビナの巡礼地メジュゴリエでの聖母マリアの再臨現象について、その超自然現象の是非の判断は避ける一方、メジュゴリエへの巡礼を正式に承認した。ところで、世界各地に聖母マリアの再臨現象が報告されているが、教理省が過去、聖母マリアの出現に否定的な判断を下した例がある。

「無原罪の御宿り」=バルトロメ・エステバン・ムリーリョ画 Wikipediaより

バチカン教理省は今年5月、1978年から施行されていた超自然現象の評価基準を更新した。新しい規範は、地方司教がマリアの出現やその他の現象をより迅速かつ効果的に判断する助けとなるもので、宗教的実践が霊的に支持されるかが重視され、民衆信仰に関する迅速な評価が可能となる。新しいガイドラインでは、出現が超自然現象かどうかを教会が公式に判断する必要はなく、その場所での宗教的実践が牧会観点から推奨されるかどうかが重要視される。

ところで、教理省はボスニアの「平和の女王」と呼ぶ聖母マリアの巡礼を認める一方、アムステルダムの「万民の母」と自称する聖母マリアの出現に対しては否定的だった。メジュゴリエの場合、「平和の女王」が語ったメッセージは、カトリック教会の従来の教義に反している点はなく、メジュゴリエでの体験に関連する霊的な実りを認め、信者がその体験に従うことを歓迎する一方、アムステルダムでの「万民の母」の聖母マリアのメッセージについては懐疑的に受け取られてきた。

メジュゴリエでの聖母マリアの再臨とその後の経緯については何度も紹介したが、アムステルダムのケースは初めてなのでここでその足跡を追ってみる。

アムステルダムでの聖体の奇跡600周年を迎えた1945年3月25日、イダ・ピーダーマン(Ida Peederman、幻視者)と呼ばれる女性の前に聖母マリアが現れた。ピーダーマンは1905年、オランダのアルクマールで5人兄弟姉妹の末っ子として生まれた。8歳の時に孤児となり、その後アムステルダムに移り住み、1996年に亡くなるまでその地に住んでいた。