私は学者なので、憲法起草者が、国連憲章、不戦条約、そして合衆国憲法を下敷きにして日本国憲法を起草した事実に着目して憲法解釈をする、という学説的立場にこだわりがあるのだが、石破氏は、その点は受け入れない。日本の大多数の憲法改正論者も、憲法解釈では憲法学通説を丸のみしたうえで、「だから改正したい」という結論を強調する。その点では、石破氏は決して例外的な存在ではない。

より論争的なのは、「アジア版NATO」として語られている安全保障政策の構想だろう。これは石破氏が憲法解釈の観点からのみこの構想を語っているため、国際法との整合性が不明瞭である。正直、これは私が以前から抱いている石破氏の印象に完全に合致する状況だ。懸念すべき点だと思う。

国内だけで終わる憲法改正論議と違って、安全保障政策、特に同盟関係に関する政策は、他国との間で、利益の一致はもちろん、まずは理解の一致が必要だ。それなのに日本国憲法の観点でしか、「アジア版NATO」を語れず、国際法上の位置づけは曖昧模糊としている、ということになったら、これは一大事である。

率直に言って、「アジア版NATO」は実現可能性が乏しい。日本だけで実現することができない案件であるにもかかわらず、同調してくれそうな国が全く思いつかない。

防衛大臣経験者が立ち並ぶのが石破内閣とすると、あるいは防衛省界隈で石破内閣の支持者が多いのではないか、という誤解をする一般の方もいらっしゃるかもしれない。しかし実情は真逆である。石破氏が防衛大臣だったときの実績から、防衛省・自衛隊関係者の間で著しく評判が悪いのが、石破氏である。

「アジア版NATO」は、実現可能性が乏しいうえに、国際法上の位置づけも曖昧だ。となれば、本気で支持して協力してくれる安全保障の研究者も数少ないと思われる。

つまり防衛関係を専門にする政府内官僚・自衛隊関係者のみならず、研究者層も、石破内閣の構想を強く支持するとは予測できない。これは2015年平和安全法制成立の際に、安倍内閣が、野党の強い反対に遭遇しながら、安全保障を専門とする実務家・研究者の強力な支持を得ていたのとは、全く異なる様相だろう。