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「マイカー元年」を境に動き出した、大衆向け国産スポーツ

「マイカー元年」を境に動き出した、大衆向け国産スポーツ

北米のクルマ好きに支えられた「日本車の華」、初代日産 フェアレディZ(S30系)【推し車】
(画像=Gノーズを装着した「240ZG」など、カッコよくても他車種のエンジン流用などでコストを抑え、比較的安価に一般大衆でも買えて高性能な国産スポーツカーは、初代フェアレディZが国産初と言ってよいだろう,『MOBY』より 引用)

1966年、ダットサン(日産)から「サニー」、トヨタから「カローラ」の初代モデルが登場、1950年代に通産省(現在の経済産業省)が提唱した、「安価で高性能な国産大衆車」の決定版とも言える2車種の登場と大ヒットは、後に「マイカー元年」と呼ばれました。

ただしその頃の国産スポーツカーと言えば、トヨタスポーツ800(1965年)やダイハツ コンパーノスパイダー(1965年)、ホンダ S800(1966年)といった800~1,000cc級を除けば高価すぎますし、2シーターでは実用性にも欠けます。

必然的に大衆向けの低価格ファミリーセダンや、それをベースにした2ドアハードトップやクーペの高性能版が「国産スポーツの主力」となっていきますが(例:ブルーバードSSSなど)、一方で「安価な本格国産スポーツ」の芽も出てきました。

大衆向けから高級セダンまでのエンジンやプラットフォームを流用する形で、コストを抑えた2〜4名乗車の2シーター、または2+2クーペの登場です。

テールゲートを持つファストバックスタイルで、スポーツカーらしいルックスと広い荷室を持つ実用性を兼ね備えたクーペとして、日産からはフェアレディZ(1969年)、トヨタからはセリカ(1970年・リフトバックボディのセリカLBは1973年)が発売されました。

美しく高性能でも手が出ない高価な趣味性の高いモデルではなく、手頃な価格で購入できる専用ボディの国産スポーツカー(※)は、1970年頃がその始まりと言えるでしょう。

(※セリカは厳密に言うと、大衆向けセダン「カリーナ」のプラットフォームを使ってスポーツカーボディとした、「スペシャリティカー」)