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1960年代までの「国産スポーツカー」

1960年代までの「国産スポーツカー」

北米のクルマ好きに支えられた「日本車の華」、初代日産 フェアレディZ(S30系)【推し車】
(画像=フェアレディZ以前の国産スポーツは、オープンモデルや2シーターで実用性に欠けるか、高価過ぎるなど一般大衆がそうそう所有できるモデルではなかった…画像はダットサン・フェアレディ1500(SP310) ©MOBY、『MOBY』より 引用)

明治時代末期に産声を上げた日本の自動車産業は、1914年(大正3年)に後の日産が大衆車向けブランドに用いた「ダットサン」の元ネタで、純国産自動車第1号と言われる「脱兎(ダット)号」を、初期の自動車メーカー「快進社」が発表したことで本格始動しました。

ただし、そこから1945年に太平洋戦争で敗戦するまでの日本では、多摩川スピードウェイなどで開催されたレースでチューニングカーが暴れまわったことはあるものの、基本的にはトラックやバスなどの商用車、VIPや軍部向けのセダンがメイン。

大型車からダットサンやオオタなどの小型大衆車でオープンスポーツ的な「ロードスター」と呼ばれる車型はあったものの、そもそも庶民にとってオート3輪のように簡便な小型実用車を除けば、まだまだ自動車自体が縁遠い存在です。

それは戦後復興期も続き、日産が「DC-3型」(1952年)に始まる一連のダットサン・スポーツを販売していたものの、DC-3は戦前型ダットサン・ロードスター車の焼き直しで、後にフェアレディとなるダットサン・スポーツ1000(1959年)以降も基本は輸出向け。

しかし、1963年に鈴鹿サーキットで「第1回日本グランプリ」が開催され、スポーツキットを組み込んだダットサン・フェアレディ1500(SP310型・1962年)が海外のスポーツカーを振り切る速さを見せつけるなど、国産スポーツも脚光を浴びます。

国産車メーカー各車とも、自社モデルにSUツインキャブなど高性能パーツを組み込んだホットモデルを追加するようになり、ホンダのSシリーズやトヨタのトヨタスポーツ800(ヨタハチ)、トヨタ2000GT/1600GT、いすゞのベレットGTなどが続々登場。

もちろんそれらは高価でしたから、一般庶民はせいぜい商用のライトバンやピックアップトラックを休日にファミリーカーとして使うのが関の山でしたが、1966年(昭和41年)にその状況は大きく変わります。