一つは、水素の輸送・貯蔵の問題。全長1万キロを超えるパイプラインがドイツ全土に建設され、輸入ターミナルや貯蔵施設も建設される予定がある。ハベックはこのインフラに約200億ユーロ(約3兆4000億円)を投資する計画だ。これを安くあげるために、既存のインフラを可能な限り転用する予定だ。
しかし水素は漏れやすく、金属を脆化(ぜいか:脆く)する性質があるので、例えば既存のLNGプラントがそのまま水素を受け入れ可能かどうかには疑問がある。実際、ある専門家は、そのままでは実現不可能だと指摘している。確かに、メタン主体の天然ガスと水素ガスを同一に扱うのは困難だろう。
もう一つは、水素の大半を海外から輸入すると言う問題。ドイツ政府の水素戦略では、2030年には50~70%を輸入することになっている。しかし、この戦略には賛否両論がある。
「水素を使用するのであれば、製造した場所で使用しなければならない」と、パースにあるカーティン大学のピーター・ニューマン教授は、ポータルサイト『t-online』に対し、コメントしている。EU委員会のエネルギー総局が発表した調査でも、同様の結論が出ている。
なお、日本の「水素基本戦略」の場合、2017年版も2023年版も、水素利用量の目標はあるが、国内生産量の目標値が見当たらない。基本的に、海外で生産し国内に輸入する、つまり輸入頼みの体制を前提として、議論を進めている。
欧米各国は国産化を目標とするか、EUのように域内でのネットワークを通じて融通し合う体制作りを目標としており、日本のように遠い海外からの輸入主体で水素供給を考えている国・地域は、日本とアジア諸国(韓国、台湾、シンガポール等)以外にはない。
また、実はこの輸入先についても「水素基本戦略」には具体的な記述はなく、水素源として豪州・中東・東南アジア諸国などが列挙されているだけだ。しかも、日本ではこれらの水素政策の是非について、ろくに議論さえ行われていないのだ。
話をドイツに戻すが、当初ドイツでは暖房用燃料に水素を使うことが検討されたが、23年頃から雲行きが変わった。これは、水素を使う暖房がヒートポンプや地域暖房のような既存技術よりもはるかに高価だとの理由による(天然ガスと比べてヒートポンプも決して安くはないが、水素はその2倍以上高い)。
結果として、水素利用は電気の利用が難しい化学、高炉製鉄、セメント、肥料工業などに限定すべきとの声が強くなった。これは、かつて水素製造法が真剣に検討されたのが、窒素肥料の原料になるアンモニアを極力安く作るためだったことを考えたら、言わば当然の帰結とも言える。
さらにドイツでは23年8月に承認された水素発電所建設の計画が、24年になってから技術とコストの両面で再検討が必要とされた。ドイツの各種産業の業界団体は、エネルギーの未来を水素から天然ガスに方向転換せよ(と言うより、元に戻せ)と強く要求した。
英国でも似たような事情がある。ボリス・ジョンソン前首相は、自国を「水素のカタール」にしたいと考えていた。しかし、この計画はウィットビーやレッドカーといったイギリスの村では抵抗にあった。住民たちは、未成熟な技術の「実験台」になることを恐れた。結局、政府は「水素村」プロジェクトは実現不可能だと宣言した。
また英国の専門家は、一般家庭にはヒートポンプなどの電気暖房を、重工業には水素を使うべきだとアドバイスした。アナリストのジェス・ラルストンは『ガーディアン』紙に、「将来、水素が家庭の暖房に果たす役割は、あったとしても小さいことは明らかだ」と語った。
もう一つ、今度はドイツとアフリカが絡む問題を紹介する。「物議を醸す水素プロジェクト:ドイツの支援がナミビアの国立公園を脅かす」という記事だ(記事では3GWと7GWが混在しているが、ここでは3GWで統一しておく)。
ナミビアのツァウ・カエブ国立公園で「3GWハイフェン・エナジープロジェクト」と呼ばれる事業が計画されている。このプロジェクトは、ハイフェン・ハイドロジェン・エナジー社が100億ドル規模の投資を行って、約3GWの新しい風力発電所と太陽光発電所を建設し(水素を作ってそれを原料に)グリーン・アンモニアを供給する目的で構想されている。
しかしこの地域は、多くの希少種や絶滅危惧種が生息する生物多様性の重要なホットスポットである。 この地域に約3GWの新しい風力発電所と太陽光発電所を建設することは、ユニークな動植物を脅かすことになると、ナミビアの環境保護活動家たちは懸念を示している。もちろん、多数の風力タービンによるバードストライク等や、巨大太陽光パネルによる土地被覆の影響を懸念しているのである。
この記事は、次の文章で終わっている。
ナミビアとドイツは協力して、環境と経済の両方の目標を考慮した持続可能な解決策を見つけるべきである。このようなプロジェクトが環境を犠牲にして実施されないことが重要だ。国際的な協力と責任ある計画によってのみ、現代のエネルギー・環境問題に対する長期的な解決策を見出すことは可能なのである。
しかし、そうだろうか? 建前的にはその通りだが、アフリカ諸国は大半、現状深刻な電力不足の状態にある。そこに大規模な再エネ発電所を建設し電力を収奪することに、ドイツ人は何も感じないのだろうか? カネさえ払えば良いんじゃないの、とでも考えているのか?
この事例は、日本にとっても重要な「他山の石」となり得るだろう。一つは、海外の広大な土地を使って再エネ発電し、それで水素を製造して輸入する事業には、種々の大きな問題が起き得ることである。水素供給目標の何割かを占めるほどの水素生産を再エネ電力で行うには、恐ろしく広大な土地が必要になることは明白であるから。
上記「水素源」候補とされた豪州・中東・東南アジア諸国などの、どこの国にそんな土地が見出せるのだろう? むろん、タダであるはずがないし。豪州・中東の乾燥地では、ナミビアのような生物多様性の問題は少ないだろうが、プラントの建設や運転・維持等に多くの困難を抱えるであろうことは、容易に予想できる。