1.はじめに

1980年代に日本製品が海外市場を席巻し、Japan as No.1と謡われ、世界中から日本人の勤勉さや日本型雇用システム等の日本的経営に注目が集まった注1)。

高度経済成長のメカニズムを語る上でイノベーションと設備投資を無視することはできない。この時代、イノベーションを起すための理工系人材の育成が急がれ、工学部や理工学部が拡大した。

例えば、1959年から1967年にかけての東京大学の学部別学生数の変化を見ると、工学部は453人から845人、理学部は132人から205人と約8年間で倍近くまで増員している注2)。また、技術者だけではなく生産・製造現場を支える技能者の需要も高まった。従来、体力を要する現場仕事は中卒主体であったが、設備の近代化により、機械のオペレーションに適した高卒が現場を支える主体となっていった注2)。

このように「技術力」と「企業経営」の両輪を上手く回すことができたからこそ日本が技術立国として世界を牽引する輝かしい時代を築けていた。

それから30年後の2010年代、日本の製造業が過去最大の赤字を出すことになる。事業部門の統廃合や大規模なリストラによって一部の日本人技術者は海を渡った。

一国の経済成長と産業の発展は切り離せない関係であり、産業の発展を支えるのはやはり科学技術である。

岸田総理大臣は2021年10月の所信表明演説で、「「新しい資本主義」実現のための成長戦略の第一の柱は、科学技術立国の実現」であり、「人への投資の抜本強化」を分配戦略の柱に据えていると表明した。日本経済が停滞し、国際競争力が低下する中で「イノベーション創出に欠くことができない理工系人材の育成」や「科学技術の発展に寄与できる人材の育成」という言葉を聞く機会が増え、科学技術立国の実現に向けた研究力の強化が急がれている。

その影響によるものか、日本経済の長期停滞を打破する解決策として「スタートアップ」や「イノベーション」という言葉を軽々しく使う輩が増えた。科学技術の根幹を支える理工系人材の育成は一朝一夕で成果が出るものではなく、時間をかけて地道に取り組むものである。そして、その先にスタートアップやイノベーションがあるのだ。

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