1月20日に宇宙航空研究開発機構(JAXA)の月探査機・SLIM(スリム)が、見事に月面へのピンポイント着陸(誤差55m)に成功し、ソ連(当時)、米国、中国、インドに次いで世界で5番目の月着陸成功国となった。日本の月着陸計画は技術上の問題や予算などの事情で遅れに遅れ、中国やインドの後塵を拝する結果となってしまった、といわれているが、実は日本は1993年4月、米ソに次いで世界で3番目に月着陸(硬着陸)に成功していたことは、ほとんど知られていない。

 90年に打ち上げられた宇宙科学研究所(現JAXA)の探査機「ひてん(飛天)」は、月の引力を利用して速度を増減するスイングバイ飛行の実験を何度も成功させ、ミッションを完遂した後で、NASAの提案もあり、予定外に月の軌道に乗せられ、最終的には93年4月に月面に到着した。これは、ハードランディング(激突)ではあったが、この月面到着はソ連、米国に次いで世界で3番目となる宇宙開発史上での快挙であった。ところが、ある事情で、この「快挙」は当時、メディアではほとんど取り上げられることはなかった。

衣の下に鎧(よろい)を着た宇宙工学実験衛星「ひてん」 

「ひてん」は宇宙工学実験衛星1号機として計画され、その最大の目的は、惑星探査に欠かせない技術であるスイングバイ技術の習得にあった。スイングバイとは、公転する天体に接近し、天体の引力を利用して、燃料を使うことなく、探査機を加減速し、かつその軌道を変更する技術である。当時成功していたのは、アメリカとソ連だけであった。

 世界で3番目にスイングバイに挑戦しようというのだから、それ自体野心的な試みだったが、問題はスイングバイの対象に選んだのが「月」だったという点だ。月に探査機を送ること自体が「世界で3番目の挑戦」だったのだが、そのことはスイングバイという宇宙工学上の実験テーマの陰に隠されてしまっていた。

「ひてん」には月を直接探査する機器は装備されず「月探査機」と呼べるものではなかったのだが、小型ロケットを逆噴射して月の軌道に乗せる孫衛星「はごろも」を搭載していたように、当時の技術陣が月到着を強く意識し、月への野心を持っていたのは間違いない。