同氏はまた、アメティ女史が後に謝罪したが、それで問題は解決されないとして、「アメティ女史の周囲や彼女の所属する政党において、将来同様の逸脱が起こらないように学ぶ必要がある。民主主義と宗教は深く結びついており、この議論は多元的な社会における尊重と寛容の重要性を考える機会にもなるからだ」と強調した(バチカンニュース)。
ヒースタンド氏が主張するように、民主主義社会では国民の権利、人権が重視される一方、宗教的シンボルや宗教一般に対して軽視、ないしは無視される傾向が強まってきている。世俗化社会では人が信仰する対象やその内容に対し、安易に土足で踏みにじるような傾向が出てきている。
宗教的なシンボルへの冒涜行為といえば、パリ夏季五輪大会の開会式でのパフォーマンスを思い出す。ドラッグクイーン(女装パフォーマー)やLGBTQ(性的少数者)らを多数起用した開会式のパフォーマンスに対し宗教界から強い批判の声が聞かれた。レオナルド・ダ・ヴィンチが描いたイエス・キリストの「最後の晩餐」のパロディはキリスト教会、保守派から強い反発を招いた。
例えば、フランスのローマ・カトリック教会司教会議は「開会式では、レオナルド・ダ・ヴィンチの有名な絵画を基にした『最後の晩餐』をワンシーンで再現するアーティストたちが登場した。しかし、このシーンは、ドラッグクイーン、ほぼ裸の歌手、その他のパフォーマーによって、トランスジェンダーのパーティーやファッションショーにパロディ化された」と述べ、不快感を表明している。
それに対し、パリ五輪開会式の芸術監督を務めた舞台演出家のトマ・ジョリー氏は「テーマは世界の多様性と異質性を称えることにあった」と指摘し、批判に反論している、といった具合だ(「“神聖なもの”への「冒涜」は許されない」2024年8月3日参考)。
パリの風刺週刊誌「シャルリー・エブド」が2020年9月2日、イスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を再掲載した時、世界のイスラム教国から激しい批判が飛び出したが、フランスのマクロン大統領は訪問先のレバノン・ベイルートの記者会見で、「フランスには冒涜する自由がある。報道の自由がある」と述べ、イスラム教国の批判を一蹴したことがある(「人には『冒涜する自由」があるか」2020年9月5日参考)。