ミリンゴ大司教のエクソシズム活動は、アフリカ以外でも注目されるようになり、特に病気や精神的な問題に苦しむ多くの人々から依頼が殺到した。彼のエクソシストとしての能力を高く評価し、彼に治療や悪魔祓いを求める人々が後を絶たなかった。しかし、この活動はローマ教皇庁(バチカン)の関心を引き、カトリック教会内部で問題視され始めた。1983年には、彼のエクソシズムに関する活動が制限されるよう指示が出され、最終的にはローマ教皇庁に呼び戻された。

同大司教はそれ以降もエクソシズムの活動に強い関心を持ち続け、癒しと悪霊払いの活動を続けていた時、旧統一教会と接触し、故文鮮明師と会合し、その教えに強く感動する。そして先述したように、文鮮明師から祝福を受ける。その後も同大司教はエクソシズムの活動を継続する一方、「結婚した聖職者の権利」を強く支持し、カトリック教会内での聖職者の結婚制限を批判し、自らのグループを率いて、「結婚した聖職者を支援する運動」を展開している。

ミリンゴ大司教の統一教会との結びつきと結婚が公になった後、バチカンはミリンゴ大司教に対し、結婚を解消し、教会の教義に従うように命じ、一時的にミリンゴ大司教は統一教会から離れ、カトリック教会に戻る動きを見せたが、最終的には再び統一教会との結びつきを強めていった経緯がある。

2006年にはさらに物議を醸す行動をとり、教皇の許可を得ずに4人の司教を秘密裏に叙階した。これはカトリック教会の規律に対する重大な違反であり、これを受けてバチカンは大司教を破門した。破門は教会法上の最大の懲罰であり、ミリンゴ大司教はこれによってカトリック教会から正式に追放された。

ミリンゴ大司教は生涯、カトリック教会との対立、エクソシズムの実践、旧統一教会との関係などでメディアの注目を浴びてきたが、その業績に関する評価はもう少し時間がかかるだろう。特に、聖職者の結婚問題ではカトリック教会の再考を促し、「結婚前、私にとって神は男性的だったが、結婚後、神の女性的な要素を学んだ。自分は結婚を通じて神をより理解できるようになった」と語り、結婚をとりなした故文鮮明師に感謝している。ミリンゴ大司教は婚姻前、「私は、文師が私の経験したのと同様に、深遠な方法で霊界をご存じだということに気づきました」と証をしている。