小泉首相が強い指導力を発揮するようになったのは、2005年の郵政選挙のあとだ。これは参議院で法案が否決されたことを理由に解散するという常識はずれの選挙で、前述のように郵政民営化のコアだった財投改革は2001年に終わっていたので、残る問題は郵便事業への民間参入ぐらいで、解散・総選挙で民意を問うほどの争点ではなかった。

それでも長年にわたって停滞していた自民党政治を「ぶっ壊す」という小泉の気迫が国民を魅了し、郵政民営化に反対する候補者は公認しないで「刺客」を立てるなどの劇場型の選挙で圧勝し、自民・公明で2/3を超える圧勝をもたらした。これによって小泉首相は党内の主導権を握り、中川秀直政調会長が党も掌握して「小泉一強」体制ができたのだ。

これは自民党の伝統的な集票構造である個人後援会や利益団体では足りない小選挙区制のもとで、メディアを通じて不特定多数の国民に「改革イメージ」を売り込む政治的マーケティングだったといえよう。その具体的な中身はあまりなく、メディアも国民もそれを知らなかったが、このマーケティングは圧倒的な効果を発揮した。

これが小泉改革の最大のイノベーションだったが、それは後継者に受け継がれなかった。第1次安倍内閣は「消えた年金」という小さな問題の処理を誤って倒れ、その後の福田・麻生首相も小泉氏のようなカリスマ性に欠けたため、ついに自民党は政権を失ったのだ。