菊池秀明『越境の中国史』(講談社選書メチエ)によると、華南における客家は移住民として後発だったため、危険な辺境に追いやられ迫害された。だからこそ外敵に抗して結束するために、3階分はある高い壁で包まれた住居に集団で住んだわけだ。
つまり周囲と隔絶した城塞でも、内部の住民どうしでは相互扶助のコミュニティがあった。装いの似た東京のオートロック物件には、それがない。家族で一棟を買い切るお金持ちの私邸にしても、分厚い壁でお隣とのつきあいが絶たれた姿はどこか、寂しそうだ。
だからぼくはいま「円楼」があればなと、強く思う。
茂木計一郎・片山和俊『客家民居の世界』(風土社)が描くように、ドーナツ状の円楼の中庭は、井戸や厩舎のある交流スペースだった。炊事洗濯をしながら、声をかけあい談笑する。そうした日常の実践があってこそ、いざ「籠城」となった時も協力できる。
いまの日本のゲーテッド・コミュニティは、城壁の内側にすら信頼がない。先日の新型コロナウイルス禍でも、タワマンの住民どうしが「感染者が住んでいないか」を疑いあう話題ばかりを耳にした。
孤独が広がる社会で必要なのは、血縁以外の同族意識でつながる「客家」かもしれない。そんなことをずっと、東京に来てから考えている。
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なんでか知らないけど客家って私、昔から好きで……。病気で入院とデイケアを体験してからは、ますます「円楼」への偏愛が強くなりました。もちろん親族に限られてのことだけど、アジールないしコミューン感みたいなもの、感じません?