「津波記念碑」(岩手県大船渡市赤崎町)

地震・津波碑データベースでわかる「次に危ない地域」5選! 今こそ祖先からのメッセージを聞け!
(画像=画像は「寺社・石碑データベース」より引用,『TOCANA』より 引用)

 岩手県南部、三陸海岸南部に位置する大船渡市にある23件の津波碑の一つ。この津波碑は大船渡湾に面した赤崎公園にあり、1933年3月3日の昭和三陸地震(M8.1)による大津波を記録するために建てられた。津波発生から2年後、朝日新聞が募集した義勇金が各市町村に分配され建設資金となった。碑文には、昭和三陸地震の溺死者数81人に加え、前述の明治三陸地震(1896年)の津波による犠牲者数457人も記されている。

 昭和三陸地震による死者1500人以上のうち、1300人以上は岩手県民であり、同県がいかに津波の危険地帯であるかを物語っている。碑文には、「地震があったら 津波の用心 津波が来たら 高い所へ」と、後世の人々へのメッセージも刻まれている。

・ 「寶永の津浪潮位(推定)」(和歌山県田辺市)

地震・津波碑データベースでわかる「次に危ない地域」5選! 今こそ祖先からのメッセージを聞け!
(画像=画像は「寺社・石碑データベース」より引用,『TOCANA』より 引用)

 和歌山は三重とともに津波碑の登録が極めて多い近畿地方の県である。これは田辺市にある15の津波碑のうちの一つで、紀伊半島南端に近い田辺湾岸に位置している。海から500mほど内陸のガード下に、碑文を刻んだ銘板が貼られている形だ。

 実は、この津波碑は平成10年に市の公民館によって作られたもので、宝永年間の1707年10月28日に発生した宝永地震(南海トラフ巨大地震、M8.6程度)による津波を記録するためのもの。津波は伊豆半島から九州までの太平洋岸から瀬戸内海にまで達し、2万人の死者が出たと考えられている。刻まれている碑文は、「寶永の津浪潮位(推定) 海抜12メートル79。昔この位置に峠道あり。寶永(西暦1707年)の津波」。碑文には、他にも安政南海地震(1854年12月24日、M8.7程度)と昭和南海地震(1946年12月21日、M8.0)による津波の潮位も記されている。

 和歌山県は、今さら指摘するまでもなく南海トラフ巨大地震によって大きな被害が想定されている地域である。内閣府の被害想定によると、津波到達時間は最短で地震発生後4分、死者は最大8万人と見積もられている。宝永の津波が同地で12mもの高さに達したという事実を碑文に刻みつけておくことは、後世の人々にとって貴重な情報となるだろう。