国立民族博物館(大阪府吹田市)は、全国各地の津波被害を記録した石碑や寺社の情報をまとめた「寺社・石碑データベース」を作成し、ネット上に公開している。過去に発生した津波において、どの地域でどれほどの高さまで水が到達したか、被害の詳細を知ることができる津波碑や記録は、防災の観点から決して軽んじてはいけない。とりわけ深刻に受け止めるべき津波碑をピックアップし、そこに記されている内容を考察しておこう。

地震・津波碑データベースでわかる「次に危ない地域」5選! 今こそ祖先からのメッセージを聞け!
(画像=Stefan KellerによるPixabayからの画像,『TOCANA』より 引用)

■津波碑が物語る“最高に危ない地域”5選

 前述のデータベース(DB)では、津波碑などが県別・市町村別に分類されているため、その数によって津波発生時の危険度をある程度知ることができる。県別の情報登録数を見ると、岩手県が140件以上と他を圧倒しており、次が宮城県、三重県、和歌山県と続く。市町村別の情報登録件数を見ると、岩手県宮古市(34件)が最多となり、釜石市(33件)、宮城県気仙沼市(31件)、大船渡市(25件)と、4位まですべてが岩手県、宮城県で占められている。岩手県、そして宮城県は、東日本大震災の津波で数多くの犠牲者が出た地域であるが、歴史的にも津波で深刻な被害を受けてきたことがわかる。

 では、東日本大震災ではほぼ無傷だったはずの三重県と和歌山県でなぜ津波碑が多いのかというと、これは過去の「南海トラフ巨大地震」において甚大な被害を被ってきたからにほかならない。そこで、本DBにおいて登録件数が多い市町村から、南海トラフ巨大地震をはじめとする切迫した災害を考慮した際、もっとも心に刻みつけるべき5つの津波碑を紹介しよう。

・ 「三陸大海嘯溺死者弔祭之碑」(釜石市只越町)

地震・津波碑データベースでわかる「次に危ない地域」5選! 今こそ祖先からのメッセージを聞け!
(画像=画像は「寺社・石碑データベース」より引用,『TOCANA』より 引用)

 岩手県釜石市にある32カ所の津波碑の一つ。この津波碑は釜石市の中心市街、只越町の石応禅寺という寺の境内にあり、1896年6月15日の明治三陸地震(推定M8.5)の際に建立された。裏面には、田中製鉄所職員工夫103名の慰霊と記されている。

 明治三陸地震は、釜石町(現・釜石市)の東方沖200kmに位置する三陸沖が震源となったが、陸地までかなり距離があったため各地の震度は2~3程度で、建物倒壊などの直接的被害はなかった。しかし、3.11以前としては観測史上最大の遡上高となる海抜38.2mの巨大津波が発生し、釜石町では8mの高さを記録している。

 同地では、その後も1952年の十勝沖地震で2.5mの津波が襲来。1960年のチリ地震(M8.5)では当時の金額で6億円以上の損害、さらに7年前の3.11では993人が命を落とすなど、定期的に津波による甚大な被害を受けている。今後も繰り返されるであろう国内の地震のみならず、海外で発生する地震にも十分警戒しなければならない地域なのだ。