国家が教会に関する事柄を制度化したら、それだけで信教の自由の侵害になるわけではない。血みどろの根深い宗教戦争の歴史をもつ欧州諸国はいずれも、信教の自由を原則としながら、個別的な事情に応じた政教分離原則の適用を模索してきた。重要なのは、その国家にとって、最も望ましい政教分離のあり方は、どのようなものか、ということである。
今回のウクライナの措置は、理論上は「信教の自由」という自由主義の根本原則の一つに自動的に関わるものだとまでは言えない。ただし、「国家と教会の関係」に一定の枠組みをはめたものではあるだろう。国家がロシアと結びつきのある教会を禁止する行為によって、結果として、「ロシアと関係を持たない」教会だけを、国家が認定する教会とする措置になっている。そこが論点である。
たとえば、ウクライナは現在、クリミアを含めたロシア占領全地域の奪還を目指している。奪還が果たされれば、ウクライナの法律を適用していくことになる。つまり占領地を解放するたびに、ロシアによる占領に協力した者を逮捕し、そしてUOCを解散させていく、ということだ。
独立記念日にあわせた演説で、ゼレンスキー大統領は次のように述べた。
包括的な独立を守り抜くには、その1つ1つを達成せねばならない。経済的独立も、エネルギー面の独立も、ウクライナの人々の精神面の独立もだ。ウクライナの正教会は、今日、モスクワの悪魔からの解放へと一歩進んだ。それは、ウクライナを裏切ったことで、独立したウクライナの勲章を身に付けることは今後二度とない者たちに関しての正義の実現でもある。
今回の措置を理由に、一方的にウクライナ政府を偏狭なネオナチだと糾弾することはできない。しかし一切全くイデオロギー的要素がない、と考えることも、正しくないように思われる。
ウクライナ政府は、いわばウクライナとはロシア的なものとは完全に切り離された何ものかだ、と宣言している。今回の措置は、ロシア・ウクライナ戦争が、高度に思想的あるいはイデオロギー的な戦争になっていることを証左する事件だと考えるべきであるように思われる。