宗教の話は、複雑かつ繊細だ。国際関係学の学者などが云々するような事柄でもないようにも思える。しかしウクライナにおける正教会の位置づけは、実際には非常に政治的な問題であり、国際的な問題である。
ウクライナは、独立以来、東部住民を中心にしたロシアに親和的な国民層と、ロシアからの独立を重視する国民層とのせめぎあいを前提にして、国家運営がなされてきた。大統領も、親ロシア派と親欧米派で持ち回りのようになっていた。
この均衡が崩れたのが、2014年のマイダン革命のときであった。過敏な反応を示したロシアによるクリミア併合と、東部分離独立運動を理由にしてロシア軍も介入したドンバス戦争の衝撃を通じて、ウライナの中央政府は、急速に親EU・親米の路線で固まっていく。
その政治のうねりの中で、2018年の統合ウクライナ正教会の発足と、それに伴うUOCの疎外が起こった。そうだとすれば、2022年ロシアの全面侵攻以降に、UOCをさらに阻害していく傾向が強まったのは、不可避的であった。
他方において、この問題は、果たしてウクライナは、どこまでロシア的なものを排除し、どのように純粋にウクライナ的なものを規定して、国家アイデンティティを確立していくのか、という深い問題と結びついている。つまりウクライナにとっても最も望ましい「政教分離」原則の適用の仕方はどのようなものか、という難しい問題と結びついている。
問題を整理するために、日本国憲法を参照してみよう。日本国憲法は、第20条で、「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」と定める。日本では、国家と宗教の関係が血みどろの戦争と結びついた歴史があまりないため、理解が形式的になりがちである。そのため、憲法20条を丸ごと「政教分離原則」と理解する人も少なくない。
しかし厳密には、「信教の自由」と「政教分離」は、別の事柄である。「政教分離(Separation of Church and State)」の「教」は、「信教」ではなく、「教会」を指している。「政教分離」原則が、欧州で生まれて発展した概念である以上、この概念規定を基準にするのは自然なことである。信教の自由は、普遍的な原則である。その一方で、国家と教会の分離の仕方には、各国の実情に応じた違いがある。