1980年代から2000年代までカタルーニャそしてその首府バルセロナはスペインで最も斬新で著しい成長を遂げていた。それはスペインの首都マドリードを遥かに凌駕していた。実際、1992年のバルセロナ・オリンピックの開催はそれを如実に示すものであった。当時のマドリードではオリンピックを開催できるだけの組織力も経済力もなかった。
ところが、最近のカタルーニャ州と首府バルセロナはマドリード州と首都マドリードに完全に追い越されている。その理由はただひとつだけである。
2011年頃から始まったカタルーニャのブルジョア層を中心に生まれた独立への動きである。それを彼らは「プロセス」と呼んだ。彼らはカタルーニャを独立させて、カタルーニャ共和国を建国するとしている。が、歴史的にカタルーニャが独立国となったことは一度もない。唯一、独立らしき状態を維持していたのは18世紀のバルセロナ伯領として自治機能を一時的にもっていただけだ。
この独立への動きがカタルーニャの経済的な魅力を失う要因となっている。
更に付け加えると、カタルーニャで独立を望んでいる住民は人口760万人の半分しかいない。残りの半分はカタラン人であるが、同時にスペイン人だという意識をもっている人たちだ。だから、後者にとって独立など無謀な行為以外何ものでもない。残念ながら、独立派の政治家にはそれが分からないのである。しかも、彼らには経済は全く理解できない。
カナダ・ケベック州の二の舞を歩んでいるカタルーニャカナダのケベック州が1980年代から90年代に独立の動きがあった。その結果は、同州で嘗てカナダを代表した首府モントリオールはそれから30年が経過した現在、隣のオンタリオ州の首府トロントに経済力で完全に追い越されている。