ギリシャ人は、ゼロ記号にギリシャ文字の「Ο(オミクロン)」を当てましたが、これがアラビア数字の「0」に似ているのは偶然であり、0の起源ではありません。

また、ギリシャ人はゼロという概念に否定的でした。

彼らにとって、数字は幾何学的な図形を表すためのものであり、「そこにないもの(ゼロ)」という図形は認められなかったのです。

世界観も独特で、「すべては地球を中心に動き、宇宙には虚空や真空が存在する余地はない」とされたため、「ゼロは無神論だ!」と非難されました。

ところが、東洋世界では「創造と破壊が永遠に繰り返される」という思想が根底にあったため、ゼロはすんなり受け入れられたのです。

インドで生まれた「数字のゼロ」

ブラフマグプタが学究生活を送った場所
ブラフマグプタが学究生活を送った場所 / Credit: ja.wikipedia

ゼロは、628年頃のインドで大きなターニングポイントをむかえます。

それは、天文学者のブラフマグプタが数学と物理について書いた本の中でした。

ブラフマグプタは、数字を物理や幾何学のような具体的なものと切り離し、抽象的な量としてあつかった最初の人物です。

そして、数字が抽象的な存在になるや、たちまち数学の新たな扉が開かれました。

負の数の世界です。

これにより、数字は正と負の両方向に好きなだけ並べられる、という数列の考えが出現しました。

そして、数列の真ん中、正と負の境界にあるのが「ゼロ」です。

こうして、彼は「正の数にゼロを足すと正、負の数にゼロを足すと負、ある数にゼロをかけるとゼロになる」といった、ゼロの加減乗除のルールの発見に成功しました。

ゼロの偉人たち

その後、ペルシャのアル=フワーリズミー(780〜850)が、ゼロを示す記号として「0」を正式に導入。

0は新たな数字として1〜9の仲間入りを果たしました。

フワーリズミー像
フワーリズミー像 / Credit: ja.wikipedia

ここから、0はあらゆる偉人たちの手によって数学的に進化していきます。