政治家にしろ、普通の会社に勤務する人にしろ、業務とパーソナリティは区別する、これが原則であります。会社の場合は社内ルールや社会的行動規範の縛りがありますが、トップの場合には自己抑制だけが頼りになります。故に斎藤氏のようにタガが外れていても本人にその意識がないため、「あれ?俺何か悪いことしているのかな?」と本心で気がついていない、よって自らの理論武装において「俺、辞める理由なんて一つもないじゃんか」ということなのかと思います。一言で言えば宇宙人なのでしょうね。
日本企業は買収の対象になりうるか?カナダのアリマンタシォン クシュタールによるセブン買収提案を受け、円安事情もあり、日本企業は今後、海外による買収の嵐になるのではないかという一部専門家の見方があります。私は日本企業買収はそんな簡単な切り口ではない、と考えています。専門家の論拠は数字が主導します。企業価値をつぶさに分析し、買収価値があるかどうか、そういう観点からみて日本企業は狙われる、そう見るわけです。
ですが会社という器はそんなシンプルなものではないのです。事業者として長い歴史、従業員という魂と活力、そして一番難しいのは経営陣から従業員の末端まで国際感覚が西洋と異質の日本であるという点です。欧米の経営者は欧米流の「切った張った」に長けています。人が多すぎればクビを切ることをいとも簡単にやってのけます。事業所の閉鎖もドライに判断します。1999年にカルロスゴーン氏が日産にやって来た時のあのぶった斬り経営を覚えている方もいらっしゃるでしょう。日本的には無茶なことでも彼らにしてみれば当たり前なのです。ところが今の情報化社会ではそんな無茶はやりにくい、これが経営問題として突き刺さるのです。
海外の経営者から見て日本人は理解しずらいはずです。日本人が海外の会社経営に苦戦するのと同じです。メンタルの違いがあるので直接経営というより間接的経営がどうしても主流になります。外国人社長も日本では増えましたが武田のような国籍不明に近い企業ならともかく、例えば三菱ケミカルは外国人社長が成果を出せず、今年退任しました。外国企業が日本企業を買収した際、直接采配が取りにくいとなれば日本人傀儡の社長をたてざるを得ず、欧米企業にとっては面白くないのです。この辺りは数字で生きる専門家はスルーしてしまうのです。