抑止は敵国に望まない行動を全くさせなくする「万能薬」ではありません。抑止がいくつかのパターンで失敗することは、既存の研究で解明されています。

その1つが、抑止で脅されている国家が、リスクをコントロールしながら、限定的な探りを敵国に入れることです。この事例としては、1958年の第二次台湾海峡危機があります。

毛沢東は中国が圧倒的に不利であることを承知の上で、核武装国アメリカと事実上の同盟関係にある台湾が支配する金門島を砲撃しました。その目的は、アメリカの台湾を守るという約束の確かさを明らかにすることでした。また、北京はワシントンの反応にしたがい、この危機を拡大したり終息したりするイニシアティブを握っていました(Alexander L. George and Richard Smoke, Deterrence in American Foreign Policy, Columbia University Press, 1974, pp. 540-543)。

ウクライナも、あえて核報復を受ける危機的状況をつくることで、ロシアの核抑止に対するコミットメントを明らかにしようとしたのでしょう。幸い、ロシアはウクライナから領土を攻撃されても、核兵器を使う準備も見せなければ、実際にも使いませんでした。

ロシアは、核ドクトリンにおいて、敵国からの通常兵器による侵略から国家の存立を脅かされた場合、核兵器を使用すると宣言していましたが、この程度の本国への攻撃では核兵器で反応しないことが明らかになったに過ぎません。

くわえてロシアが抑止の失敗を放置するとは考えにくいです。おそらく、ロシアはクルスク侵攻で受けるダメージを最小化するために、コントロールを効かせながら、ウクライナに対して軍事的圧力を少しづつ強めていくでしょう。

戦争が核兵器の使用にエスカレートするまでには、何段ものハシゴのステップがあるのです。ウクラナによるクルスク攻勢の遂行をロシアの核威嚇がブラフ(ハッタリ)であることの証明だと早合点する人は、戦争のエスカレーションの段階的なメカニズムを理解していないと言わざるを得ません。