許容されない失敗であったのでしょう。ではなぜおまえは許容されたのか、と言われれば当時の常務取締役から「君は若いから」と言われたのですが、それ以上に会長社長の秘書をしていたことで潰しづらかったのが最大の理由ではないかと推察しています。
その私がカナダに来たもののこれまた会社の特殊任務を命じれらます。将来儲かるであろう私が担当の不動産開発事業に当時、多額の運営損失を抱えるホテル事業を抱き合わせて税務上のメリットを取ろうという魂胆で私の管理する関連会社に押し付けられました。赤字はみる間に増え、社内ローンの利払いをするために別の社内ローンをするのが常態化する自転車操業で挙句の果てに担当する関連会社の累損が300億円を超え、親会社のIRに開示される懸案事案になります。散々です。
社員3名の会社がこれだけの累損では話にならず、これはいかんということで始めたのが起死回生の大構造改革計画です。本社の協力も得て約5年で累損をほぼなくすのです。自分が魔法使いかと思うほど、見事に決算数字は改善します。そしてその構造改革を終えたところで親会社は倒産し、私がその関連会社を買収し今に至るという奇妙な縁につながります。
私のこの例はあまりにもスケールが大きすぎるのですが、それ以外にも失敗は数知れずあります。逆に失敗が多すぎて多少の失敗ぐらいではへこたれない強さが身についたとも言えます。どんな逆境にも解決策はあると考え、それを気力で解き続けた人生だったと思います。
許される失敗があるかと問われれば経営者である立場からすれば原則的にはそんなものはないと考えています。仮に失敗したらその名誉を挽回する功績をたてるぐらいの気力は必要だと考えています。
今の社会でそんな厳しいことを述べたらコンプラやら社会からのバッシングにとても太刀打ちできません。そうはいっても「君はできるだけのことをやったんだ。この失敗を糧にして次に進んでくれ」といえるのは大企業の美談であって、中小企業では時として、些細な失敗が会社の命を止めることにもつながります。