このようにサーフィンはポリネシア全体で見られましたが、その中でもハワイ諸島ではサーフィンがとりわけ社会全体に大きな影響を持っていました。
その理由としては諸説あるものの、深い箇所から到達したうねりが溶岩の形成したリーフにぶつかっていい波をつくること、太平洋のど真ん中に位置していることからありとあらゆる方向から波がやってくることなどが挙げられます。
サーフィンはハワイの人々にとって単なる遊びやスポーツではなく、信仰などに組み込まれていました。
例えばサーフボードを製作する際には材料となる木を切り取る際に神々への祈りを捧げ、また波が来ない時は波を呼び寄せる儀式を行ってさえいたのです。
祭りの際に使われていた祭壇の中にはサーフィンに捧げられているものさえありました。
さらに当時の様子を目撃した西洋人の記録によると、いい波がある日には集落の住民全員が作業をやめてサーフィンを行っていたとまであり、それに年齢や性別は関係なかったとのことです。
加えてハワイの貴族はリーダーシップのステータスとして体力とスタミナがあったことにより、サーフィンをすることによって自身の体力とスタミナを維持していました。
以上のことからも、いかにハワイにおいてサーフィンが生活に根付いたものであったのかが窺えます。
一度壊滅しかけるも、マリンスポーツとして復興
そんなサーフィンですが、18世紀末に本格的に洋人がハワイ諸島に押し寄せると、冬の時代を迎えます。
島にやってきた宣教師たちは、サーフィンを「野蛮なもの」であると禁止し、サーフボートを取り上げて焼き払ってしました。
またハワイの人々は西洋人の持ち込んだ新しい宗教によって原初的な信仰を失い、それと密接なつながりをもっていたサーフィンに対する関心を徐々に失っていったのです。