言うまでもなく、最悪なのは、「そんなことは起こらない」と偏見だけを頼りに現象を否定してしまうことだ。あるいは「仮に起こったとしても、それは統計上だけの話だ」のような意味不明な論理のすり替えをすることだ。

ほんの10年少しくらい前までは、「どんなにGDPが大きくても中国の質は日本の質にかなわない」と声高に主張する人々がいた。現在は死滅してしまったタイプの方々と思うが、統計とそれらの方々の死滅との間には、大きなタイムラグがあった。

人類が「経済成長」というものを恒常的現象として経験するようになったのは、せいぜい過去200年程度の期間のことである。それは欧州列強の植民地主義的拡張によってもたらされた世界史における新しい現象だった。そのため経済成長=欧州の優位と、無批判的に仮定してしまいがちである。

Global GDP over the long run

しかし脱植民地化後の国民国家化がほぼ完成した現代世界において、全世界で経済成長が進み始めたら、経済成長=欧州の優位、という歴史拘束的な偏見に近い前提が崩れていくのは、むしろ不可避的なことだと言うこともできる。

朝日新聞が参照したアンガス・マディソン教授は、2000年の歴史における世界経済における各国GDPのシェアの推移、という壮大なグラフも作成している。

2,000 Years of Economic History in One Chart

ここからわかるのは、19世紀に植民地主義的拡張を果たした欧州列強が産業革命をへて急激な経済成長を進めていく前の時代には、中国とインドのGDPシェアが圧倒的だった、ということである。世界経済の半分以上は、両者によって占められていた。

もちろんこのような統計は、様々な要素を捨象した後にしか作り得ない。そもそも2000年にわたって続いた「中国」「インド」という国などは存在しない。ただし他方において、現在の中国とインドの位置に、常に巨大な経済力を持つ大国が存在する傾向があったこともまた、歴史的事実であろう。傾向だけで全てを語ることはできないが、特殊具体的な事象を振り回すだけで大きな全般的な傾向を否定することもできない。