販売低迷、起死回生の一手とは
「国民車育成要綱案」を具体化する形で生まれたパブリカは、質素倹約を絵に描いたようなクルマとなった。ヨーロッパの「国民車」である、ドイツのVWビートルやフランスのシトローエン2CV、ルノー4CVなどと同様で、実用的なクルマとして必要十分ではあったが、派手さや豪華さとはおよそ無縁な存在だった。
この合理的なクルマ造りは、現在でも通用する至極真っ当なものだった。だが、当時の日本のユーザーには理解されることはなかった。人々はクルマに大いなる夢を見、デラックス化を追い求めていたのである。パブリカの販売は早々に行き詰ってしまう。こうした深刻な販売不振の事態を打ち破った出来事が、ひとつは装備のデラックス化であり、もうひとつがコンバーチブルモデルのデビューだった。そして、パブリカは見事に甦る。
パブリカ コンバーチブルがシリーズに加えられたのは、パブリカというブランドにある種の高級感を与えるためだった。折り畳み可能なソフトトップを備えたコンバーチブル(日本で言うオープンカー)は、アメリカ車では実用的なクルマから、キャディラックやリンカーンなどの高級車に至るまで、かつては例外なくシリーズ化されており、クルマに夢を託す多くのユーザーにとって憧れの的であった。それは、単にオープンエアでのドライビングを楽しむということ以外に、そうしたスタイルのクルマを持てる余裕のある生活を感じさせるアイテムだったからである。
ツインキャブの高回転型エンジン搭載
コンバーチブル仕様のパブリカは、2ドアセダンをベースにしてはいたが、ソフトトップ化に際して、ボディ各部の補強と性能向上のためのエンジン強化を行っていた。当時の日本では「オープンカー」は「スポーツカー」と同じ意味であり、標準型のセダンを超える性能を持っていなければならなかったのである。
ボディ関係では、フロアパンのプレス型を変更して強度を上げ、左右ドア下部のシルを強化、さらに前部バルクヘッドなどの強度を増している。エンジン関係では、排気量こそ697㏄とセダン系と同じだが、圧縮比を7.2から8.0に上げ、カムシャフトを高速型に変更、キャブレターを2基装備するなどで、最高出力を28ps/4300rpmから36ps/5000rpmへと高めている。4速トランスミッションのギア比も変え、高速走行に適したものとしていた。サスペンションは前がウィッシュボーン、後ろがリジッドアクスルの半楕円リーフスプリングとセダン系に等しい。