「タテ目」から「ヨコ目」へ華麗なる転身
国産中型車クラスのベンチマークに成長したG30型セドリック・カスタムは、1962年10月になるとマイナーチェンジし、一段とスタイリッシュに変身した。
最大の変更ポイントはクルマの顔となるフロントビューだった。ヘッドランプを縦型4灯式から横型4灯式に一新し、同時にグリルも大型化した。ボディサイズも拡大され、全長が140mm、全幅が10mm、ホイールベースが60mmほど長くなる。ただし最小回転半径は、従来比+0.1mの5.7mに抑えた。
室内空間では運転席を40mmほど後退させたうえで、前後に120mmもの調節ができる新たなスライド機構を内蔵したことが特徴。さらに、ノブ式に変更したドアロック、ウィンドウシールドウオッシャーを備えたフロントワイパー、操舵感を軽くしたステアリング(ギア比は17.3→19.7)などを採用した。
ちなみに、セドリック・カスタムがマイナーチェンジする13日前、最大のライバルであるトヨタのクラウンがフルモデルチェンジを実施して2代目に移行していた。近代的なスタイリングに一新されたS40型系の2代目クラウンは、“カスタム”と呼ぶ新モデルを設定する。ただし、こちらのカスタムはセドリックのようなセダンの上級モデルの名称ではなく、ステーションワゴン仕様の総称として使われていた。
セドリック・ラインアップのさらなる強化
セドリック・カスタムは、マイナーチェンジ後も着実に進化を遂げる。1962年12月にはセパレートシートをオプション設定。翌1963年4月には、リクライニング機構付きパワーシートやパワーウィンドウを装着した“パワー仕様”を追加する。同年9月には再びマイナーチェンジを実施し、細部の意匠を変更した。
1964年に入ると、6月にボルグワーナー製3速AT仕様を追加し、9月には3度目のマイナーチェンジでグリルやランプ類、インパネなどの形状を変更する。翌1965年2月には、ATのセパレートシート仕様がラインアップに加わった。
さまざまな改良でクルマとしての完成度と魅力度を高めていったセドリック・カスタム。「走る豪華な応接間」の異名をとった同車は、1965年10月にフルモデルチェンジを実施して2代目の130型系に移行する。しかし、そのデビュー当初は「初代モデルの方が豪華で威厳がある」と評された。イタリアの名門カロッツェリアであるピニンファリーナが手がけた“フローイングライン”と呼ぶ2代目の外観は、フロントの先端とリアの後端がなだらかに下がり、しかも各ピラーが華奢に見えたため、高級車としての“偉そう”感が薄かったのだ。逆に見ると、それだけ初代セドリック・カスタムの高級感の演出が巧みだったのだろう。
日産初のオリジナル高級車であり、市場の高い支持も獲得したG30型セドリック・カスタム。その存在は、日産自動車の歴史に確固たる地位を築いている。