5ナンバー小型自動車の規格改定
1952年、日産自動車は最新の自動車製造を学ぶために英国のオースチン社と技術提携を結び、A40サマーセット/A50ゲンブリッジをノックダウン生産、後に完全国産化するなどして自社の技術力を高めていった。そして1960年3月に、同社初のオリジナル中型乗用車であるセドリックをデビューさせた。縦型4灯式のヘッドランプ形状から“タテ目”の愛称で親しまれた初代セドリックは、アメリカナイズされた華やかなスタイルと高性能が高く評価され、やがて日本の中型乗用車のベンチマークに成長していった。
その状況のなか、政府は「道路運送車両法施行規則の一部を改正する省令」の施行に伴い、小型自動車のエンジン排気量を1500cc以下から2000cc以下(ディーゼル車を除く)に引き上げる。背景には、高速道路網の建設推進や主要道路の幅員拡大および舗装率の向上があった。日産自動車はその新規格の対応策として、既存のセドリックの大幅改良を計画する。
エンジンに関しては、ボア85.0×ストローク83.0mmというオーバースクエアタイプの1883cc直4OHVエンジンを開発し、これをH型と名づける。組み合わせるキャブレターは2連式とし、88ps/4800rpmの最高出力と15.6kg・m/3200rpmの最大トルクを絞り出した。最高速度は140km/hを達成。この数値は、G型1488cc直4OHVエンジンを積む標準セドリックよりも10km/hほど速かった。
モノコックのボディ(日産ではユニットボディと表現)については、ホイールベースを100mm延長(2630mm)して広い室内空間を確保。同時に直進安定性の向上も図る。また全高は10mm低く設定し、よりスタイリッシュなイメージに仕上げた。内装ではシート地や装備類の見直しなどを実施。とくに後席の居住性には力を入れ、日本車初採用となるリアシート専用ヒーターや2名分のピロー(当時のカタログではマクラと表現)を装備した。
「カスタム」のサブネームを付けて登場
新規格に対応したセドリックは、「カスタム」のサブネームを付けて1960年10月に発表(発売は同年11月)される。型式はG30。「走る豪華な応接間」をキャッチフレーズに、高速時代のラグジュアリーカーであることを強調していた。
G30型セドリック・カスタムは、主に官公庁や大企業の社用車、ハイヤーなどの営業車として活躍する。ユーザーの評価は非常に高く、とくに前席との間が900mmもある後席ニースペース、80mmのフォームラバーに柔らかく上品なタッチのクリンプナイロン生地を貼ったシート(シートカラーはブルー系とブラウン系を用意)、助手席側サンバイザーの裏に配したバニティミラー、大型車並の容量を誇るトランクスペース(絨毯敷きのフロアにジュートを貼った壁面、ポケット付きのカバーで覆ったスペアタイア、明確に区分けした工具室を装備)などが好評を博す。また走りの面では、厚い低中速トルクが生み出す加速性能やロングホイールベースによる高い直進安定性、コーンタイプ・ステアリングホイールの操作性の良さなどに注目が集まった。
セドリック・カスタムは安全機能の充実ぶりでも脚光を浴びる。“ライフガードデザイン”と総称した装備類は、広視界のパノラマウィンドウに強化タイプのガラス、夜道を明るく照らすデュアルランプ、ソフトパッドを配したインパネ類などによって構成。当時の国産車の最高レベルとなる安全性を確保していた。