私は日本の年金生活者より生活費は少ないかもしれません。理由は買い物に行く店が3-4か所しかないからです。お前はストイックだな、と思われるでしょう。そうじゃなくて他にやりたいことがたくさんあるから買い物は義務感以外の何物でもないわけです。確かに日本のスーパーに行くと楽しいですよね、欲しいものが充実しています。ですが、こちらのスーパーなんて10年たっても同じ陳列棚に同じものが鎮座しています。そもそも消費を喚起するという発想がないのでしょう。

さて、冒頭の日経の記事の話ですが、なぜ、私は品格がないと申し上げたかと言えば金銭感覚は10人十色だからです。かつて老後2000万円の話が出た時も私は同様の話をしたと思うのですが、2000万円で生活できる人もいるし、いない人もいる、それをひとくくりに合格ラインのような発想をすることが全く無意味であるのです。

私が自分の金銭感覚を長々と説明したのは私のような低消費型もいれば買わないと気が済まない高消費型の人もいます。どちらが正しいという話ではなくあくまでも育まれた消費感性なのです。そしてその多くは親の時代から引き継いでいます。親が浪費癖なら子もそうなりやすいのです。だいぶ前に亡くなった私の叔母はカナダから四国まで訪れた私に180円のコーヒー一杯すらもったいないからといってごちそうしてくれませんでした。私が出すといったら「いらん!」と拒絶されました。

金銭感覚の話をする意味はあまりないということです。

ではお前は浪費家がそのまま使い続けたらどうなると思っているのか、と言えば70-80%使った時に気がつきどうにか改善できればまだ合格。気がつかなけければみじめな最期を迎えるとしか言いようがないのです。わかりやすい例えならばギャンブルをするのに種銭がなくなったら止めるか、借金してでもやるか、その違いのようなものです。人の人生は自業自得としか言いようがないです。