メガリーク報道の開始は2010年秋だ。
アフガニスタン戦争、イラク戦争に関わる駐留米軍の機密文書や米外交公電を米ニューヨーク・タイムズ紙、英ガーディアン紙、スペインのエル・パイス紙など国際的な報道機関とウィキリークスは協力しながら、大々的に報道した。
米政府は「国家の安全保障を危うくする」「人命に危険が及ぶ」などと非難したが、各紙はそれでも報道価値があると判断し、人命に危険が及ぶような情報は伏せて報道した。
スウェーデンでの疑惑ウィキリークスの顔となったアサンジ氏の評価に影が出るようになったのは、2010年夏、同氏がスウェーデンに滞在中に二人の女性と性的関係を持ったことがきっかけだ。
女性たちはスウェーデン当局に性的暴行を受けたと通報し、英国に住んでいたアサンジ氏はスウェーデンに来て取り調べを受けるよう要請された。しかし、容疑を否定する同氏は求めに応じなかった。
同年12月、アサンジ氏は英警察に性犯罪容疑で逮捕された。同氏側はスウェーデンに向かえば米国に移送される可能性があると主張した。
2012年5月、英最高裁が移送を命じる判断を下すと、アサンジ氏は在英エクアドル大使館に避難し、ここで7年近くを過ごすことになった。
2019年4月、ロンドン警視庁はアサンジ氏が先の性犯罪容疑で保釈条件を破ったという理由で大使館内にいた同氏を逮捕する。
同年秋、スウェーデン当局は「時間が経過し、証拠が弱くなった」として、性犯罪容疑の捜査停止を発表した。
ここで一旦スウェーデンでの疑惑は保留されるのだが、少なくとも英メディアを見る限り、容疑を晴らすためにスウェーデンに行くことを拒否したアサンジ氏が「逃げている」という印象を与えた。一部の支援者たちは報道の自由の戦士としてアサンジ氏を熱狂的に支持する一方で、英メディアは一歩距離を置くような扱いをしていく(下の画像はアサンジ釈放のために支持者が作ったシール。筆者撮影)。