今年6月26日、内部告発サイト「ウィキリークス」の創設者ジュリアン・アサンジ氏が自由の身となった。5年前から、米国防情報の入手や開示に共謀した罪で起訴され、ロンドンの刑務所に勾留されていた。
ウィキリークスと言えば、2010年、米国の軍事機密を大量にリークし、欧米の複数の大手新聞社と協力しながら大々的に報道したことで世界的にその名が知られた。
オーストラリア出身のアサンジ氏は当時、39歳。「時代の寵児」と称賛され、筆者も含む多くのメディアウオッチャーはウィキリークスをネット時代の新たなジャーナリズムの先駆者として高く評価した。
しかし、14年後の現在、53歳になったアサンジ氏に対する評価は人によってまちまちだ。
ウィキリークスがどんなことをしたのか。なぜ評価がばらつくようになったのか。
「新聞研究」(日本新聞協会発行)7月号に掲載された、釈放前に書いた筆者原稿に補足してまとめてみた。
「メガリーク」を主導アサンジ氏は1971年、豪クイーンズランド州で生まれた、インターネット活動家だ。広い意味のジャーナリスト、ともいえる。
2006年、匿名で政府や企業などの機密情報を公開する媒体として「ウィキリークス」を立ち上げた。
2007年、ケニアの元大統領による汚職を暴露する情報を英ガーディアン紙に提供し、2009年にはケニアの人権侵害についてのリークを複数の欧米メディアとともに公表した。同年、国際人権擁護組織「アムネスティ・インターナショナル」はウィキリークスに「メディア賞」を授与している。
2010年4月、イラクでの米軍による誤射事件の動画「コーラテラル・マーダー」を公開する。
この動画とこれに続く大量の機密情報(「メガリーク」)をウィキリークスに提供したのは、米軍情報分析官チェルシー・マニング兵(当時は性別変更前で、ブラッドリー・マニング)だった。
マニング氏は2010年5月、情報漏えいの疑いで米当局に逮捕され、2013年にはスパイ罪などで有罪となった。35年の実刑判決を受けたが、2017年、オバマ米大統領(当時)の恩赦で釈放された。