9月にトランプ氏とハリス氏の討論会が3回開かれる可能性が出てきています。広範囲な政策の話をするのですから3回でも4回でもやった方がいいでしょう。候補者がいちいち各州を回り、暗殺犯に姿をさらすよりずっとましだと思います。極端な物言いかもしれませんが、アメリカのみならず世界中はいつ、どこでどんな犯人が何を企てているかわからない時代になりました。オーストリアでのテイラー・スイフトさんのコンサートが中止になったのも17-19歳の容疑者の脅迫が引き金だし、トランプ氏を襲撃したのは20歳の若者です。
病んでいる世の中で我々が目指すのはより強固に自分を防御することか、お互いのつながりを強化し、双方が理解し合う社会を実現させるのがよいのか、という二者択一話にみえます。しかし、そんな美談を受け入れる余地が双方の支持者にあるわけがないし、夢物語の様な社会が実現することもなく、分断はより悪化すると考えるべきです。
民主主義的とされる選挙を行っても社会が平和で安定する答えを反映する正しい判断がなされるとは限りません。99%の人が間違えることもあります。私は二択というアプローチが違うように考えます。二択はそのプロセスにおいて双方が反発し合う関係なので双方がエキストリームなポジションに立ちやすくなります。それに酔いしれる支持者は私から見れば「酔っぱらい」にしか見えないのです。現実解はもっと中道であり、折衷する気持ちを持ち合わせるかどうかがアメリカの将来をよりよくする第一歩ではないでしょうか?
オリンピックの意義私は東京五輪を見に行ったそうです。1964年の方ですが、全く記憶にありません。ただ家に五輪の記念品や土産がたくさんあったのは覚えており、さぞかし日本中が盛り上がったのだろうと思います。五輪の目的は憲章にある内容だけではなく地域経済開発を促進することがあります。その点で64年の五輪誘致は日本のインフラ発展を後押しし、国民が一体となった世紀の祭典でありました。が、ロス五輪あたりから商業五輪に代わります。つまりそれまでは選手のみならず、国民も参加者と捉えられたものが、ロス五輪からは国民は「観客」という立場に代わったのです。こんな指摘をする人はたぶんほとんどいないでしょう。