■闇に葬られた宇宙飛行士たち
人類初の宇宙飛行として知られるユーリー・ガガーリンだが、旧ソ連時代の宇宙開発には、ガガーリンより前、そしてそれ以後にも、搭乗した有人衛星が軌道から外れて宇宙の彼方に消え去ってしまい、公式の記録からも抹殺された、いわゆる幽霊宇宙飛行士が何人もいるという暗い噂がつきまとっているのだ。
この幽霊宇宙飛行士の話は、単なる都市伝説にしてはかなり具体的な情報が、それも数多く寄せられている。「ユーホロジストクラブ」を主宰する古参のUFO研究家・平野泰敏は、かつてこの情報を集めて『幽霊宇宙船』としてまとめたことがあるが、彼が収集した情報以外にも幽霊宇宙飛行士についてはいくつも報告がある。
最初の報告は、1957年11月7日のものだ。
この年の10月4日、ソ連は世界初の人工衛星スプートニク1号の打ち上げに成功、当時宇宙開発をソ連と競っていたアメリカに大きな衝撃を与えた。いわゆるスプートニク・ショックである。そこで西側諸国は引き続きソ連の宇宙開発をモニターすべく、宇宙からの電波を観測する衛星追跡センターを各地に設立、ソ連の次の動きを見守っていた。
11月3日には、ソ連は「ライカ」という名の犬を乗せたスプートニク2号を打ち上げたが、その4日後の11月7日、世界各地の人工衛星追跡ステーションがスプートニク1号、2号とほぼ同じ波長を発する電波をキャッチしたのだ。ソ連当局からは何の発表もなかったため、衛星打ち上げが失敗したものと推測された。
このときの衛星に宇宙飛行士が搭乗していたかどうかは不明であるが、1959年12月になると、ソ連の衛星国チェコの高官から、打ち上げに失敗して軌道を外れた有人宇宙船の飛行士に関する、かなり具体的な情報がもたらされた。この情報には幽霊宇宙飛行士としてアレクセイ・レドコフスキー、アンドレイ・ミトコフ、セルゲイ・シボーリン、マリア・グロモヴァという個人名まで含まれていた。
1960年には、アメリカの有名なSF作家ロバート・ハインラインが、リトアニアを旅行中に奇妙な体験をした。この年の5月15日、リトアニアのヴィリニュスにいたハインラインは赤軍の将校と仲良くなり、ソ連がこの日に有人衛星を軌道に打ち上げたと聞かされた。ところが同じ日のうちに、この将校は衛星打ち上げを否定したのだ。ハインラインは、一旦衛星を打ち上げたものの、何か事故が起きて事実を隠蔽しようとしたのではないかと推定している。
同じ1960年の9月27日になると、一層奇妙な事件が起きた。トルコ、スウェーデン、イギリス、そしてイタリアにある衛星追跡ステーションが、黒海付近のカプスティン・ヤール基地が宇宙と交信するのを確認したのだ。しかも、この宇宙船側から何か暗号めいた単語のような人の声が次々に発せられ、地上局と思われるところから同様な単語を用いた返事が応答されていたのだ。この交信はその後すぐに途絶えたが、ソ連当局からは何の発表もなかった。
さらに11月28日、イタリアのトリノにある衛星追跡ステーションやアメリカのテキサス州にあるアマチュア無線局、西ドイツのボッフム電波天文台がキャッチした信号はさらに深刻だった。このときは午前1時43分、午前2時55分、そして午前3時少しすぎの三回にわたり、ソ連の衛星からと思われるモールス信号や音声が受信されたのだ。モールス信号は「SOS、全世界へ、SOS、全世界へ…」と連打しており、最後にロシア語で「苦しい、助けてくれ」と叫ぶ声を最後に通信は途絶えた。
さすがにソ連当局も隠し通せないと観念したのか、無人衛星の打ち上げが行われたが失敗したと発表したものの、人間が搭乗していたとは決して認めなかった。