何十年かの時が過ぎて振り返った時、自分の気づきは星座になっていて、遠くから眺めると乙女座だったり白鳥座だったり、それぞれの形になっているのです。そうなって初めて自分が歩いてきた道のりが、「ああ、私が歩いたのは、こういう山だった」と大きな景色が見えてくる。最近、そんなふうに思うようになりました。

それに、お茶は決まり事だらけで制限の多い世界のように見えるけれど、その決まり事を身につけてしまうと、逆に無限に広がる自由が見えてくるのです。人間は最初から自由に解き放されるよりも、制限された方が自由になれるのかもしれません。

お茶を通じて見つけた「自分の座る場所」

——お茶は人生のようですね。

そうですね。人生も遠くから眺めて初めて見える。その時、歩いてきた道のりは「自分の物語」になりますよね。

一体自分はどんな道を歩いているのか分からないまま、ただ一生懸命にぬかるんだ道を歩いているのだけど、何十年もたって遠い場所から振り返ってみたら、私ってこういう風に歩いてきたんだっていうのがはっきり見える場所に立つ日が来る。

私は60歳になった時でした。それは、「やっと居場所が見つかった」という感覚でした。その時、自分で自分に「よくここまで生きて来た。よくやった!」って言いました。

——60歳ですか。

フリーランスの仕事ですから、この先何をどういう風にやっていったらよいか、仕事そのものの不安とか、働き方の悩みとか、常に何か心に不安を抱えているんです。原稿を書かなければ収入はゼロだという危機感がいつも目の前にあるので、精神的にも不安定でした。家族にも心配をかけましたし、自分でも、この先どうなるのだろうといつも思っていました。

『日日是好日』を書いたのは45歳の時でしたが、その後も夜の海を一人で泳いでいるような気持ちで、50代になっても安定なんてどこにも見えませんでしたね。