歴史を語るってどういう作業かといえば、①かつては自明すぎていちいち文字にされなかったが、②いまは時代が変わりピンと来なくなってしまった過去の文脈を、③復元することを通じて世代の断絶に橋を架けることなんですよね。本来は。
ところが歴史学者ってしばしば、①史料の文字面に書かれたことを見つけて「ジッショー!」と有頂天になり、②これはファクトだから文脈に関係なく尊重されて当然なんだゴラァとオラつき、③結果として同時代の問題についても的外れで安易な断言を繰り返すようになる。
……やってること逆すぎじゃね? そうしたカン違い専門家の末路は、おおむね惨めだし、また惨めにしていかなければなりません(苦笑)。
「権威の象徴としてアフリカ人奴隷を使うという流行が始まった」と自著に書き、トーマス・ロックリー氏を必死に擁護していた 東大准教授 #岡美穂子 氏。
Xから逃亡。 pic.twitter.com/Ad01N1Dxjl
— 秋野つゆみ@マンガ・動画発信中 (@nihonnomanga) August 3, 2024
かように歴史の専門家があてにならぬ昨今、代わって私がいまと過去とのあいだの「裂け目」を埋める一助として、今日から見て「古典」に相当する作品を読み解く作業に乗り出した次第です。どうぞ長い目で、ご期待くださるなら幸甚です。
P.S. 昨秋刊行の『危機のいま古典をよむ』には、本連載の原型になったコロナ禍でのミニ連載「危機のなかの古典」も再録しております。採り上げたのは、内村鑑三、コリン・ターンブル、村上春樹。こちらもよろしく!