岸田文雄首相は、広島1区を選挙区としている。だが、実際には東京で生まれ育った人物である。誰よりも広島を知っていると言えば、少なくとも永田町ではそうであろう。だが、いささか政治的スローガンにとらわれ過ぎているのではないかという印象を、私は持っている。

核兵器の廃絶へのこだわりは、その一例だ。確かに、広島の平和主義は、核廃絶への願いをその中核に持つ。だが広島を、ただ核廃絶を語るだけの町にしてしまうのは、その普遍主義的な性格に、制限を課すことだ。

オバマ大統領の広島訪問が実現したのは、普遍主義的な復興を成し遂げた広島の歴史によるところが大きく、核廃絶への願いの強さといったことは、必ずしも大きな要因ではない。その点を見間違えると、G7サミットをあえて広島で開催したことの意味も、消失する。形式論で、どれくらい核廃絶について話せたか、といった話に、過度に還元されすぎてしまう傾向が生まれる。

核廃絶の訴えという一点だけで平和とつながり、あとは全て日本政府の政策方針に従属する、という姿勢では、広く世界にアピールできる普遍主義的な平和を求める精神が見えなくなる。最悪の場合、世界情勢には目をつぶりながら、ただ呪文のように核廃絶だけを唱えるだけの町になってしまう。

平和記念式典へのイスラエルの招待(パレスチナの非招待)の問題は、広島が今後どのようなアイデンティティを持っていくか、という視点に大きく関わっている。そしそそれは、日本が国際的にどのようなアイデンティティを持っていくか、というビジョンにも、大きく関わっているはずである。