お茶は季節のなかで「生きていること」を思い出す場所

——どんな風に違うのでしょうか?

仕事では、周りの評価や売り上げの実績、あるいは社内人事によって、未来に光が差したり暗く沈んだりするでしょう。仕事の好調不調が自分の人生の全てになって、片時も頭から離れず、休みたくとも休めない。そんなことはありませんか?

でもお茶の稽古場で、作法でがんじがらめ、決まり事だらけのお点前をすると、なぜか頭にこびりついて離れなかった何かが剝がれ消えていくのです。そして、「あ、この甘い風の匂いは梅の香りだ」「この柔らかな音は秋の初めの雨音だ」と、五感が蘇ります。お茶碗を眺めながら、「今年もこのお茶碗の季節が廻って来たのか」と季節のめぐりを思います。ある季節になると必ず思い出す感覚や言葉、その時にだけ見える景色があるのです。

仕事だけで暮らしていると、どうしても近視眼的になって自分の人生さえも業績や数字で評価して季節にも気づきませんが、私はお茶の稽古に通うことで人間回復をしてきたのです。

日本という国は、地球の中でも特に地理的に季節の変化がはっきりした国で、この豊かに変化する季節こそが日本文化を作ったと言ってもいいでしょう。季節とつながって生きることが、私たち日本人の心の源泉なのだと思います。お茶の稽古は、そのことを思い出させてくれます。スキルでも知識でもない。お茶は、季節に会いに行くことだと思うのです。

自分の気持ちと向き合い、日常に戻るための時間

——仕事だけになってしまうと、視野も狭くなってしまいますよね。

もしお茶を習っていなかったら、私は今日まで仕事を続けることはできなかったと思います。お茶の稽古をしている時は日常とは違う時間の流れの中にいて、時折もう1人の自分と話し合っているような気がすることもありましたし、遠い昔のたくさんの自分と共に生きてると思える瞬間もありました。