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マイティボーイを生んだのが最大の功績・2代目(1982年)
短命に終わったのが惜しまれる「横丁小町」・3代目(1988年)
マイティボーイを生んだのが最大の功績・2代目(1982年)
初代アルト(1979年)に始まる低価格の軽ボンバン(ボンネットバン)ブーム前夜に生まれてしまったため、パッとしない販売実績に終わった初代セルボでしたが、2代目はFF化したアルトやフロント同様にFFスペシャリティクーペ化。
引き続き女性向けモデルという位置づけでしたが、発売翌年の1983年にはスズキ初のターボ車を追加、グロス40馬力と360cc時代を上回るハイパワーを手に入れ、フロントにディスクブレーキまでおごったあたりは「本当に女性向け?」と怪しくなるところ。
ならば本格的にスポーツモデルとして展開するかと思えば、1985年にはグロス44馬力のインタークーラーターボを積む「アルトターボ」が登場してしまったので、2代目もせっかくテールを寝かせたクーペルックが活きることなく、何となく中途半端でした。
なお、この代は軽ピックアップの傑作として評価の高い、「マイティボーイ」のベースとなったモデルでもあり、フロントマスクはほぼ同じですから、やはり女性向けスペシャリティクーペと呼ぶにはちょっと無理があったと思います。
短命に終わったのが惜しまれる「横丁小町」・3代目(1988年)
1988年1月にセルボは3代目にモデルチェンジしますが、フロントマスクは同年9月にモデルチェンジしてしまう2代目アルト/6代目フロンテと同じ…「型落ちベースのスペシャリティクーペ」で、実は初代や2代目も似たようなもの。
つまり、当時のスズキはセルボを「型落ち車でコストをかけずに作る女性向けスペシャリティカー」と位置づけていたようです。
1990年の軽自動車規格改定(660cc化)を見据え、ロングストローク化すればすぐ660ccのF6Aになるよう、F5Aをビッグボア&ショートストローク化した新型の「F5B」エンジンを先行搭載し、電動パワステの初採用など、「古い器に新装備」という伝統?も健在でした。
この代のセルボはフロント周りこそ「型落ちアルト/フロンテ」そのままでしたが、前席頭上を頂点としてなだらかに落ちつつ、テールでスパッと切り落としたのはなかなかにスポーティで、左右テールランプ間いっぱいのガーニッシュなど、デザインは秀逸です。
当時の人気アイドル、大西結花をCMに起用して「横丁小町セルボ」と売り出し、素性が古い割にはかなりヤル気マンマン、ターボエンジン不在だけは不満だったものの、それも女性向けパーソナルクーペと思えば…という出来栄えでした。
これで1990年の軽規格改定も660cc化で乗り切れば、「セルボ」という車名のイメージもだいぶポジティブなものに変わっていた可能性もありますが、550ccのままわずか2年半足らずの短命で終わったのが惜しまれます。
最大のライバル、ダイハツのリーザが女性向けメインでも最大64馬力のEFIターボエンジンを積んで元気よく走り、660cc化でも生き残ったのとは対照的な運命でした。