「日本空飛ぶ円盤研究会」(略称:JFSA)は、1955年に故・荒井欣一を会長として発足した日本最初の民間UFO研究団体である。同研究会には、高梨純一や斎藤守弘など、後に活躍するUFO研究家だけでなく、三島由起夫や石原慎太郎、星新一といった作家、作曲家の黛敏郎、ロケット学者の糸川英夫など著名人も多く参加していた。会員は日本全土に散らばり、その数は最盛期には700人以上に達した。

 機関紙の『宇宙機』は、1956年から1960年にかけて32号発行されている。ワープロなど夢物語に過ぎなかった時代に手書きのガリ版刷りで、時には60ページにも及ぶ大部なものを、1カ月、あるいは2カ月おきに刊行していた。そのガリ切り作業だけでも大変な労力である。

 その『宇宙機』であるが、非売品であり、しかも会員その他限られた人物のみに配布された同人誌ということもあって、1960年にJFSAが活動を停止すると、各地の会員たちの書棚に埋もれたまま世間に紹介されることが少なくなっていった。会員が死去するとともに、事情を知らない遺族の手で人知れず処分されたものも多くあるのだろう。晩年の荒井欣一の手許にも、全巻は残っていなかったようである。

■会員たちの熱い想い

 筆者は数年前、この『宇宙機』のバックナンバーを何冊か手に入れ、内容を一読して驚いた。  会員はさまざまなバックグランドを持っており、UFOについても宇宙船と考える者ばかりでなく、宗教的な考えや、否定的な見解を持つ者もいた。『宇宙機』は特定の主義主張にとらわれず、こうしたさまざまな会員の幅広い意見を掲載していた。

 また、インターネットなど誰も夢想さえしておらず、海外情報を入手するにはいろいろと制約のあった時代背景にも拘らず、会員たちは当時欧米で話題になった情報をいち早く入手しようと手を尽くしており、今では古典と見なされているフラットウッズ事件やメンジャーのコンタクトなどもいち早く紹介されていた。中にはマゴニアへの言及など、この時代に、すでにこのような意見が出ていたのかと驚かされる内容もあった。

 まさに、荒井会長はじめ会員一同のUFOに対する熱い思い入れがあふれかえっていたのだ。

忘れられた日本史上最大のUFO事件「銚子事件」の謎! 未知の金属片がバラ撒かれ… 戦慄の分析結果と衝撃展開!
(画像=日本空飛ぶ円盤研究会 会員名簿(画像提供:羽仁礼),『TOCANA』より 引用)

 そこで筆者は、日本のUFO史における記念碑ともいうべきこの機関紙の内容を後世に伝えるべく復刊することを思い立ち、同じ頃手に入れた会員名簿を頼りに、何人かの旧会員の現住所を探し当て、訪問してみた。しかし、訪れた会員たちのほとんどは既に鬼籍に入っており、遺族の方に確認しても『宇宙機』はないという返答ばかりであった。

 それでも何人かの助力を得て、写しも含めてほぼ全巻を確認し、現在はその復刻活動を細々と続けているところである。何年かかるかわからないが、ライフワークと覚悟してやり遂げたいと思っている。

 一方、『宇宙機』のバックナンバーを読んでいて気付いたことがある。

 当時の会員たちの間ではほぼ共通の知識となっていた事件でありながら、今ではほとんど忘れ去られているものがいくつか見つかったのだ。

 そうした事件のなかから、今回は「銚子事件」を紹介しよう。