2024年1月27日午後6時ごろ、タイ・パタヤでベースジャンプに挑んだ英国人男性が転落死する事故が起こった。ベースジャンプは、高層ビルや断崖などからパラシュートを使って降下するスポーツだ。死亡した男性も32階建てビルの29階から飛び降りたが、パラシュートが開かなかったという。

 こうしたパラシュート事故の事例として有名なのがフランツ・ライヒェルトだ。事故の瞬間を捉えた映像がネット上で公開されているが、その背景を紹介しよう。

バラシュートの先駆者フランツ・ライヒェルト

 パラシュートの先駆者として知られるフランツ・ライヒェルトは、1979年にオーストリア・ウィーンで生まれた。1898年にフランス・パリへ引っ越し、1909年にはフランス国籍を取得した。

 仕立屋で発明家のライヒェルトは、航空機の急速な発展に興味を抱いていた。一方で、航空事故の記事に心を痛め、パイロットの命を救いたいと考えたことから、1910年7月から「パラシュートスーツ」の開発を始めた。

 パラシュートスーツは、航空機からパイロットが脱出する際に展開してパラシュートになる着用可能なスーツだ。ライヒェルトが自信満々に「私の新しい発明は他に類を見ないものです」と語る発明品は、防水生地と絹を素材年、落下中に展開させるためのロッドとベルトのシステムを装備している。

 ライヒェルトは、パラシュートスーツを着せたダミー人形をパリの自宅アパートの5階から投げ落とす実験を行った。しかし、スーツは機能せず、ダミー人形は地面に激突した。自ら着用して行った実験では足を骨折した。

 実験の失敗に挫けなかったライヒェルトは研究を続けた。いくつかの団体と交渉して資金を調達しようとしたが、いずれも失敗する。それでも諦めずに実験を繰り返した後、パラシュートスーツ自体ではなく実験環境に問題があると考えるようになった。スーツが正しく機能するためには高度が必要だというのだ。